「母にいい報告をしたいというのが一番の原動力です」
慶大では4番を任せられるまでに成長したものの、大卒でのプロ入りはかなわなかった。父に「大変申し訳ない」と頭を下げると、「社会人を経験してからプロに行けばいいだけじゃん」と父がプラス思考であることの大切さを改めて教えてくれた。
トヨタ自動車での1年目は出場機会に恵まれなくても諦めなかった。2年目に打撃が開花し、社会人屈指の名門でも4番を任された。そして、右の強打者を探していた広島に21年ドラフト3位で指名され、夢がかなった。
「母にいい報告をしたいというのが一番の原動力です。大学のときも母のために……と頑張ったし、大学でドラフトに指名漏れした悔しさはめちゃくちゃあった。社会人2年で絶対プロにいってやると思い、2年後のドラフトをずっとイメージしてきた。納得するまでやろうと、ひたすら練習に打ち込んできました」
プロに入ると、持ち前の明るさでチームに新しい風を吹かせている。試合中でもマウンドまで届くほどに声がよく通り、ベンチに戻ればムードメーカーを担う。中村健の活発さは、ナインに下を向く暇を与えず、チームを明るくすることに一役買っている。
ドラフト指名後には「(母への)お供えものを増やしていけるようにしたいです」と言った。マツダスタジアムでプロ初安打を打った試合後に佐々岡監督と撮影した記念写真は、母の遺影の前に飾られていると言う。初本塁打の記念球も実家に贈る予定だ。
「天国で喜んでもらおう」と誓ってから6年が経った。1年目からの活躍に喜んでいるどころではないだろう。天国で見守る母も、ナインも、コイ党も、みんなを笑顔にさせる陽気な声が今日もマツダスタジアムに響いている。
河合洋介(スポーツニッポン)
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