それは去年の秋だった。阿部寿樹は自宅マンションの洗面台の前に立った。シェービングクリームを顔に塗った。T字剃刀を右手に持った。肌に優しい5枚刃だ。ジョリ。口髭からだった。2018年、小笠原道大二軍監督の「生やすんなら生やせ」という言葉がきっかけだった。2019年、伊東勤ヘッドコーチに「マスター」と名付けられた。髭は阿部のトレードマークになった。ジョリ。あご髭も剃った。抵抗も迷いも未練もなかった。別れは一瞬だった。鏡に映る顔を見てつぶやいた。

「気持ち悪っ」

 夏に比べて日射しは柔らかいものの、ナゴヤ球場で続くリハビリの日々で肌はこんがり焼けていた。しかし、髭の部分だけ異様に青白かったのだ。

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 阿部はホンダからドラフト5位指名で中日に入団した。27歳になる1年目から勝負だったが、3年間は20試合前後の出場。しかし、与田剛新監督になった4年目にブレイクした。5年目も活躍し、2年連続で規定打席に到達。やっとプロでやれる手応えを掴んだと思いきや、阿部の答えは意外だった。

「全然です。これといった自信は何も。あの2年はただがむしゃらに無我夢中でやっていただけでした」

阿部寿樹

故障してたどりついた「3つの結論」

 去年も勢いのまま突入した。が、開幕からバットは湿りっぱなしだった。6月に一軍登録抹消。さらに2年に及ぶアクセル全開走行でエンジンはオーバーヒートしていた。「春先からおかしいなと思っていたんですが、とうとうオリンピック期間中にやっちゃいました。打撃練習で打った瞬間に『うわっ!』と痛みが走ったんです」。診断は右第一肋骨骨折。シーズンが終わった。

「夏以降、バットは振れないし、ボールも投げられない。黙々と走るだけでした。去年は本当に何もしてないです」

 ランニング中、阿部はなぜ打てなかったのか、なぜ怪我をしたのかを考えた。自問自答を繰り返し、3つの結論に至った。

「まず、打撃に関しては『無駄を省く』です。スイング、足の上げ方、全てが大きくなり過ぎていました。体についてはウエイトをやろうと。トレーナーと相談して、上半身も下半身も鍛え直しました。体重は85キロから92キロに増えて、一回り大きくなりました」。そして、最も大切なプロで生き抜くための考え方について答えを出した。

「出てなんぼです。じゃ、出るためにはどうするか。僕なんかのタイプは打ってなんぼです」

 怪我が癒えた阿部は立浪和義新体制の秋季キャンプに途中参加した。首脳陣からは「外野もやってくれ」と頼まれた。即了承。ポジションへのこだわりなど微塵もない。出てなんぼだ。打撃では動きを極力少なく、小さくした。試行錯誤の過程で自然とバットは寝ていった。「感覚が良かったので、オフも継続しました」と振り返る。

 成果は春季キャンプ、オープン戦で出た。しかし、ファンもマスコミも注目は若手だった。「石川昂弥をサードで使いたいよな。すると、高橋周平はセカンドか。でも、阿部もいいしな。阿部は外野か。でも、外野はブライト健太、鵜飼航丞、岡林勇希、アリエル・マルティネスがいる」と阿部推しは多くなかったと記憶している。「そりゃ、そうですよ」と静かに笑った。