ネット掲示板での呼びかけをきっかけに起こった組織投票により、その年一軍で一度も登板していなかった川崎憲次郎がオールスターファン投票で断トツの1位を獲得……。「川崎祭り」と呼ばれた、この珍事は日本プロ野球のオールスターインターネット投票の問題点を浮き彫りにした。渦中の人物であった川崎憲次郎は、どのような思いで騒動を見ていたのだろう。
ここでは、フリーライターとして活躍する鈴木忠平氏が執筆し、第53回大宅壮一ノンフィクション賞、ならびに32回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)の一部を抜粋・再公開。プロとしての苦境を弄ばれた川崎の“意外な願い”を紹介する(全3回の3回目/#1、#2を読む。初出:2021/9/30)。
◆◆◆
「川崎祭り」
川崎は自分でも驚いていた。落合の問いに即答したことにだ。理性では、なぜ俺なのかと疑問を感じている一方、心の奥底に、そのマウンドで投げるべきだと考えているもう一人の自分がいた。
俺は誰かから、こう言われるのを心のどこかで待っていたのかもしれない……。
川崎は胸の内を探した。じつは、この3年間、誰にも言えずに秘めてきた思いがあった。その渇望にあらためて気づかされたのは、前年夏のある事件がきっかけだった。
2003年の5月、川崎は1年ぶりに二軍戦のマウンドに立った。これまでも二軍で投げたことは何度かあり、その度にまた痛みがぶり返していた。ナゴヤドームで勝つことが仕事である投手にとっては、まだ復活にはほど遠い小さな一歩だったが、どういうわけか、その直後から夏のオールスターゲームのファン投票の上位に自分の名前が挙がるようになった。
異例のことだった。オールスターはそのシーズンに最も輝いている選手たちが集まる舞台だ。一軍で投げていない選手に出る資格があるはずもない。
その不可解な投票運動はやがてインターネット上で「川崎祭り」と呼ばれるようになり、拡散していった。そして、ついに川崎はトップに立った。
一試合も投げずに2億の年俸をもらっている自分への皮肉が込められた現象だというのはわかっていた。中日球団とコミッショナー事務局は、インターネットや携帯電話投票を悪用した愉快犯的なこの行為に憤りを示し、遺憾のコメントを発表した。
最終的にはファン投票で断トツの1位となった川崎が、球団を通じてオールスター戦の辞退を表明する事態になった。
『自分が出られる場所ではないので常識的に考えて辞退します』
それが川崎による公式のコメントだった。