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幼少時からの野球勘&貫いた約束

 プロ入りした今年、滝澤が持ち味を発揮したプレーがある。5月14日の楽天戦の7回、安樂智大から同点の三塁打を放った直後、暴投で三塁からホームインした場面だ。矢坂さんはあのプレーを見て「昔から変わっていないな」と感じた。

「あのときのスタート、メチャクチャ早かったじゃないですか。あの野球勘は幼い頃から変わっていないと思ったんですよ。『行ける』という判断云々ではなく、気付いたら走っていたような。当時からスキがあれば次の塁を狙いますし、『何でそんなプレーできるの?』というのを普通にやっていましたからね」

 小学5年生の夏、6歳上の長兄・拓人のいる関根学園は夏の新潟大会で勝ち進み、決勝進出を果たす。拓人は2年生でレギュラーとして出場し、兄の姿は滝澤にとって憧れだった。

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トロフィーを手にして満面の笑みの滝澤(右) 矢坂大聖さん提供

 飯塚悟史(元横浜DeNA)擁する日本文理との決勝で関根学園は初の甲子園まであと2人と迫るも、サヨナラ本塁打を打たれ甲子園出場はならなかった。このとき、滝澤の中で「関根学園に入って、お兄ちゃんの分も自分が甲子園に行く」という感情が芽生えた。安川総監督は決勝戦の後、滝澤と話したことを思い出す。

「文理との決勝後、お母さんと一緒に挨拶に来たんですよね。ナツオは小学5年生だったのかな? 事前にナツオの話は聞いていたので、『お前、高校は関根学園しか考えていないと言っているらしいな?』と聞いたら、『よろしくお願いします!』と返してきた。『そう言って高校進学の際、文理や中越に心変わりしたヤツがいっぱいいたぞ』と言ったんだけど……ナツオは初心を貫きましたよ」

 現在、都内の大学に通う矢坂さんは滝澤のデビュー戦だった5月13日の楽天戦と15日の同カードをベルーナドームで観戦した。

「僕にとってはヤンチャで可愛い幼馴染ですけど、凄いですよね。嬉しかったです」

 感慨深い表情でそう振り返ると、幼馴染ならではのエピソードを語ってくれた。

「15日の試合ですかね。球場にいたら開始15分前くらいにナツオから『タイセイくん、どこいるの?』とLINEが来たんです。事前に球場に行くとは伝えたんですが、まさか試合直前にLINEをするなんて(笑)。『俺のことはいいから、試合の準備しろよ』と思いましたね」

©武山智史

「タッキー」ではなく「ナツオ」

 滝澤の故郷でもある上越地区の高校から近年、2017年に西武6位で綱島龍生(糸魚川白嶺高)、巨人育成8位で荒井颯太(関根学園)がプロ入りしている。

 その要因の一つとして北陸新幹線が2015年に開通したのが大きいという意見もある。開通前は上越新幹線で越後湯沢からほくほく線、長岡から信越線と在来線に乗り継ぐ必要があったが、北陸新幹線は上越妙高、糸魚川に停車し、アクセスが格段に良くなった。

 安川総監督によれば、滝澤を担当した西武の鈴木敬洋スカウトは高校2年秋の北信越大会後に初めて関根学園を訪問し、その後10回近く足を運んだという。それまで上越地区の高校出身のプロ野球選手といえば、糸魚川市出身の関本四十四(元巨人)ぐらいしか目立った選手がいなかったが、今後上越地区の有望な高校生がプロのスカウトの目に止まる可能性はより高くなるだろう。

 滝澤の活躍に上越市内の高校野球部では練習中、「今度はナツオさんのバッティングを取り入れてみたんだ」という野球部員の声や、練習試合では保護者から「ナツオくん、凄いよね……」という会話を耳にした。滝澤がプロの世界で躍動している姿は、上越の人たちにとって間違いなく励みとなっている。

 最後に一つだけ付け加えたい。

 最近はスポーツ紙の見出し等の影響で滝澤を「タッキー」と呼ぶ声も多い。しかし、今回取材した安川総監督と矢坂さんは「『タッキー』は兄の拓人のあだ名で、ナツオは『ナツオ』なんですよ」と正し、同郷の夢を託した。

 上越の「ナツオ」から、西武の「ナツオ」へ――。

 164cmの小さな体に、新潟から多くの人たちが熱視線を送っている。

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