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「ナツオくん、凄いよね」球界最小164センチ、西武・滝澤夏央が故郷の新潟から託された夢

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/06/10

「去年の今頃はこの球場でプレーしてたんだよなぁ……」

 高校野球春季新潟県大会決勝を控えた5月14日の朝、長岡市・悠久山球場の記者席に着くと挨拶もそこそこにこんな会話が聞こえてきた。

 前日、関根学園高校出身の西武・滝澤夏央が育成選手から支配下に登録されると、そのまま一軍の楽天戦に「2番・ショート」でスタメン出場。プロ初安打を記録してお立ち台に上がるなど鮮烈なデビューを飾った。

 ちょうど1年前、高校3年生の滝澤は春季県大会準決勝、決勝をこの悠久山球場でプレー。走攻守でスピード感あふれるプレーを披露し、その姿は新潟の高校野球ファンに強い印象を植え付けた。

 あのときの高校生が育成選手から支配下登録され、ケガで離脱したキャプテン・源田壮亮の代わりにショートを守る――。

 そんな未来を1年前、誰が想像しただろうか。

滝澤夏央

滝澤三兄弟の自慢の末っ子

 私は東京在住のカメラマン兼ライターだが新潟で生まれ育ち、高校(長岡向陵)で野球部だったこともあり約15年前から新潟の高校野球を取材し続けている。滝澤の母校・関根学園も10年近く取材し、その高校時代も見てきた。

 関根学園のグラウンドは日本スキー発祥の地・金谷山スキー場の近くに位置する。

 3年前の5月、シートノックでショートを守る小柄な1年生の軽快な守備に惹かれた。聞けば春季大会ではセカンドでスタメン出場し、夏はショートのレギュラーに抜擢される予定だという。私の隣にいた安川斉・総監督(当時監督)はそのプレーを見ながら、「この1年生、いいでしょ! 滝澤三兄弟の末っ子だよ」と解説してくれた。滝澤三兄弟……その言葉を聞いて納得したものだ。

本職はショートながら、高校時代はピッチャーとして登板することも ©:武山智史

 上越市内の野球関係者の間では、野球の上手な「滝澤三兄弟」は学童野球の頃から知れ渡っていた。長男・拓人、次男・有亮(ゆうすけ)、そして末っ子の夏央。高校は拓人が関根学園、有亮が同じ上越市内の上越高校へ進み、3人とも下級生の頃からレギュラーでポジションは同じショート。夏央は3人の中で一番体が小さいが、野球センスは最も高いと評判だった。

 滝澤は2人の兄の後を追いかけるように、和田保育園年長のときに学童野球チーム「三郷タイフーン」で野球を始めた。

 当時の滝澤を知るのは2歳上の幼馴染で、三郷タイフーン、上越市立城西中学野球部と同じチームでプレーした矢坂大聖さん。自身も高田高校野球部でキャプテンを務めた。今でも親交は続き「ナツオ」「タイセイくん」と呼び合う仲だ。矢坂さんが当時の滝澤について語る。

「僕は小学2年生の6月にチームへ入ったんですが、当時年長だったナツオは既にチームにいましたね。大きい声を出して暴れ回る、やんちゃな子でした。小学校のグラウンドに走り幅跳びで使う砂場があるじゃないですか。ナツオはそこにわざと何度もスライディングしてユニフォームを汚すんです。その光景をナツオのお母さんが驚いた表情で見ていました。お兄ちゃんたちが練習でユニフォームが汚れるのを見て、マネしたかったんだと思います」

幼少期の滝澤(一番左) 矢坂大聖さん提供

 小学6年生の矢坂さんがピッチャー、4年生の滝澤がキャッチャーでバッテリーも組んだ。

「どこを守ってもメッチャ上手かったです。ひじを痛めてキャッチャーからセンターにコンバートされたんですけど、一直線に落下点に入って打球を捕っていましたから。間違いなくチームで一番野球が好きなんだなと感じましたし、ズバ抜けた身体能力と野球センスは際立っていました」

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