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高橋幸夫さん:
片づけることは、自分の手で妙子をこの世からなくすような感じがする

事件当日、妙子さんがたたんだ洗濯物

妙子さんの帰りを待つ日々、それも終わりが近づいていた。
事件から6年後、高橋さんは津山市を離れ、独立した子どもたちに近い神戸市に移り住んだ。裁判所に妙子さんの失踪宣告を申し立て、法律上亡くなったことにした。

 

高橋幸夫さん:
生きている妙子という、僕の生き方から限界を感じてきた

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事件の捜査は、容疑者の死を境に行き詰まり、妙子さんの行方はわからないまま。年月が経つに連れ、事件があったことすら知らない人も増えてきた。

 

夫婦の最後を自らの手で…

事件から20年。高橋さんは今、介護付きの高齢者住宅に身を寄せている。2022年で79歳になった。

高橋幸夫さん:
ここが終のすみか。それまでの間に、早く遺骨を僕の手元に戻してほしい

 

部屋には思い出の写真が飾られていた。終のすみかで思うのは、残された時間と妙子さんのこと。

 

高橋幸夫さん:
うちの女房は苦しんだことは事実だと思う。怖かったと思う。まだ生きたいと思ったろうし、僕の手で妙子の人生を見届けて、最後に閉めてやって、僕も閉める。今の僕の願い

妙子さんを自ら弔って、夫婦の最後を迎える。高橋さんは今、そう願っている。

(岡山放送)