昭和最大の未解決事件のひとつ、「グリコ・森永事件」。1984年3月から1年5カ月にわたり、「かい人21面相」を名乗るグループが食品企業を次々と脅迫。日本事件史上、類を見ない「劇場型犯罪」に日本列島は震撼した。
事件から40年近くが経過し、未だに多くの謎を残すこの事件。当時、捜査の現場では一体何が起こっていたのだろうか?
捜査一課の調査員としてグリコ・森永事件の捜査を担当した兵庫県警の山下征士氏が、自身が携わった多くの事件について記した著書『二本の棘 兵庫県警捜査秘録』(KADOKAWA)より、事件に関する一部を抜粋して転載する。(全2回の1回目/後編を読む)
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兵庫県警の通信司令部に110番の連絡が…
「人事異動前の事件には気をつけろ」
これは、刑事たちの間でよく語られる、捜査上の心得である。
あとわずかで内部の人事異動が控えた時期に、大きな事件が起きたとする。だが、それによって人事が凍結、延期されるということは基本的にない。
初動を指揮した幹部がすぐに別の担当者に変わったりすると、引継ぎが不十分になったり、捜査方針が揺らいだりすることが往々にしてある。
「グリコ・森永事件」はまさに、そんな事件の典型例だった。
1984(昭和58)年3月18日午後9時36分。街に行き交う人通りも消えた日曜日の夜、兵庫県警の通信司令部に110番の連絡が入った。
江崎勝久社長が何者かに拉致される
「2人組の男に押し入られ、テープでくくられた!」
通報者は女性、一部上場企業「江崎グリコ」社長夫人だった。
この通報は、すぐさま西宮署に伝達された。
「緊急指令。二見町の江崎勝久邸で拳銃強盗容疑事件発生」
ただちに西宮署員が現場に急行する。午後10時過ぎ、国鉄(現・JR西日本)甲子園口駅から300メートルほどの距離にある江崎社長宅にパトカーが到着。だが、江崎勝久社長は何者かに拉致された後だった。