「被疑者は、神戸市須磨区居住の中学3年生『A少年』、男性14歳です」
1997年6月28日、逮捕直後の記者会見。兵庫県警捜査一課長・山下征士氏(82)が明かした被疑者の“素性”に日本中が戦慄した。「酒鬼薔薇聖斗」と自ら名乗っていた被疑者は、この時から「少年A」と呼ばれることとなる。
小学6年生だった土師(はせ)淳くん(当時11)が殺害されてから5月24日で丸25年になる。当時、捜査の現場では一体何が起こっていたのだろうか?
捜査一課長として事件の捜査を指揮した山下氏が、自身の受け持った多くの事件について書いた著書『二本の棘 兵庫県警捜査秘録』(KADOKAWA)より、神戸連続児童殺傷事件の一部を抜粋して転載する。(全2回の1回目/後編を読む)
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少年Aが「シロ」であることを示す証拠
少年Aに関する捜査が極秘にすすめられる一方で、別の可能性も排除することなく、いくつかの項目を重点的に調べていく作業が始まった。
私が心がけていたのは、少年Aの容疑を打ち消すような情報はないのか、それを常に探すことだった。ある容疑者を「クロ」だと思い始めると、容疑性を強めるような情報だけに目が行ってしまう。だが、それは危険な兆候である。
少年Aが「シロ」であることを示す証拠はないか。それを探し続けてもなおAの容疑が晴れないのであれば、そのとき初めて事件は解決に近づくことになる。
まず、遺留品関係については、胴体部分が発見されていた「タンク山」の入り口に取り付けられていた新しい南京錠である。
学校に対する恨みを感じさせる記述
事件が起きるまでの一定期間をさかのぼり、現場周辺のスーパー、小売店など52店舗で、約60個の南京錠が販売されていたことを突き止め、購入者を洗った。
また、犯行様態の異常さから、須磨・垂水区内のレンタルビデオ店32店から利用者約600名を把握し、犯行適格者を割り出す作業も進めることにした。
そして、声明文が神戸新聞社に送り付けられたことから、神戸新聞の名谷直売所740軒、同じく落合販売所2000軒の購読者からの聞き込みを行なった。