職務質問で確認された直径3ミリの「血痕」
Aに対する容疑性が格段に強まった要素は、先の5月13日に起きた同級生脅迫事件のほかに2つあった。それが、事件直後の職務質問と、Aが過去に書いた「作文」の入手である。
5月27日、行方不明となっていた淳君が遺体となって発見されたあと、捜査本部は徹底した職務質問を実施した。まさに「人を見かけたら職質しろ」という表現が大げさではないほどで、当時、付近を1人で歩いているような男性は、かなりの確率で捜査員に声をかけられていたはずである。
まだ、捜査本部がAをマークしていなかった5月30日、この日は金曜日の平日だったが、不登校状態だったAはコープ北須磨店の前で午前11時30分ごろ、職務質問を受けている。
2日後の6月1日、友が丘2丁目の路上で、Aは自転車で徘徊していたところ、再び職務質問を受けた。このとき、捜査員がAのジーンズの右太もも部分と、右の運動靴(白色)つまさき部分に、直径3ミリほどの血痕のようなものが2、3点あったと確認、それが記録に残っていたのである。
同級生の弟がやられたら怖かった…?
このときの職務質問で、Aは雄弁に語っている。その内容は次のようなものだった。
「口に挟まれたという手紙の全文が、新聞やテレビで公開されていたので知りました」
「“スクール”の綴りが間違っていたり、あまり使わないような言葉が書いてあった。学校や警察に恨みがあると思う」
「淳君が殺されて悲しいだけではなく、半面良かったと思った。淳君には申し訳ないけれど、残酷やけど、理由は同級生の弟がやられたら怖かったから……」
「5月24日の夕方に淳君のお母さんから『そちらに行ってませんか』という電話があって、行方不明になっているのを知った。淳君は知らない人が声をかけても知らんふりをするが、おもちゃや菓子を持っていたら誘うことができたかもしれない」
「小学校の時は陸上クラブだった」
「中学校には毎日行っている」
実際のAは、小学校で陸上倶楽部に所属したことはなく(図工クラブ)、また中学校も職質当時は不登校状態で、虚言だったことになる。
事件発生当初はこの職質もさほど注目されなかったが、すぐにAの存在が捜査線上に浮かぶと、この職質の内容が俄かに重要性を帯びてくることになった。
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