文春オンライン

「私も面白半分にスプーンを撫でていたら、ぐにゃっと曲った」瀬戸内寂聴が超能力を決して否定しなかった理由

『捨てることから始まる』 #3

2022/06/11
note

 昔の霊験譚の多くを、私は作りものと思っていたが、それ等の話も、昔の人が素直で無欲な心を持っていた頃には、たしかにそういう奇跡も行われたのではないかと思うようになった。霊験の多くは純粋で切なる祈りの時にのみあらわれていた。あるいは人が何かを信じきり、任せきった時にあらわれるのだった。

 釈尊は自身の霊能力や超能力を出来るだけ人に示すまいとなさったと伝えられている。

「論理や科学を超えた力」が発揮される時

 仏教の教えの根本にある因果の思想などは実に論理的でもあり科学的でもあって、原因があって結果が出るという考え方は誰をも納得させるであろう。デヴィ夫人は、「この世の一切は人間の努力次第だと思って生きてきた。宜保さんの霊能力や守護霊云云という考え方は、人間の努力を否定するものだ」と怒っている。

ADVERTISEMENT

 人間の努力はもちろん必要だけれど、努力の果に何か人間の力以上のものの扶(たす)けが加った時、自分でも信じられない能力が発揮されると私は思う。しかし、それは、犬や猫の霊に守られるというようなものではない。それは私は宇宙の生命との感応だと信じている。

「私も面白半分にスプーンを撫でていたら、ぐにゃっと曲った」瀬戸内寂聴が超能力を決して否定しなかった理由

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー