文春オンライン

「私も面白半分にスプーンを撫でていたら、ぐにゃっと曲った」瀬戸内寂聴が超能力を決して否定しなかった理由

『捨てることから始まる』 #3

2022/06/11

 今から20年前、1990年代前半は日本中が「超能力ブーム」に沸いたときでした。宜保愛子さんや、霊能力者を取り上げるテレビ番組を知った瀬戸内寂聴さんは何を思ったのか?

 寂聴さんが人知を超えた力の存在を否定しなかった理由を、『捨てることから始まる 「寂庵だより」1997‐1987年より』(超能力や霊視能力について)から一部抜粋してお届けします。(全3回の3回目/#1#3を読む)

寂聴さんが決して「超能力」を否定しなかった理由とは ©iStock

◆◆◆

日本が「超能力ブーム」に沸いたとき

 寂庵へ法話に来られる人々の中で、悩みがあると、これは何かの祟りではないかと怖れ、また水子の祟りで物事がうまくいかないようだとかと不安になっている人が多いので考えこんでしまう。金もうけが目的の怪しげな新興宗教に、信じられないほど多くの人々が吸いよせられていくのも、そこで、除霊といって、ついている悪霊を祓ってくれるからだとか、自分の前世が何であるかを証してくれるからだという。

 最近、宜保愛子さんの霊能力について、あれはおかしいと精力的に疑惑を訴える大学教授や、あれはインチキだと憤激するデヴィ夫人の抗議が相ついで話題になっている。

 つい先程も超能力は果してあるのかというテレビ番組があった。世間に一種の超能力ブームがおこったのも、テレビがそれを積極的に取りあげ、宜保愛子さんの特集をしきりに流したせいもあると思う。女性週刊誌などでも、さももっともらしい報道や特集を組んでいた。

 そもそもはユリ・ゲラーという超能力者をテレビ局が招いたのがブームの発端だったと聞いている。それにつづいて、スプーン曲げの少年などあらわれて話題になった。

面白半分でもスプーンが曲がった

 あの当時、私も面白半分にスプーンを撫でていたら、ぐにゃっと曲ったこともあり、何気なく握って振ったら見事曲ったりした。しかしそれが私の超能力のせいとはどうしても信じられなかった。

 私の掌は人にかざせば熱が出る。自分の痛いところに触っていてもアイロンをかけたようになって快くなる、人の体にさわった時、その人の悪いところに掌が近づくと掌がかっと熱くなって、ほぼ患部を言い当てる。しかしこれも私の超能力や霊能力だとは思えない。どっちかといえば私は科学的にものを考える方で、奇跡などは信じたがらない性向なのである。

©文藝春秋

 ところが、出家して横川で行をして護摩をたいたり、三千仏礼拝などという荒行をして気も遠くなりかけたりした経験を通して、祈りとは無私になりきらなければ、仏に通じないものだということは、おぼろげながら体得した。

 山を下り、大方20年余もの俗塵での生活を送るうち、自分のためではなく、人のために祈らなければならない機会が多くなり、そこにたしかな霊験を感じるようになった。自分自身のことを祈って、叶えられたことは一度もない。ものの見事に人のために祈った時に霊験は現われるのである。