僧侶、作家として数々の功績を残した瀬戸内寂聴さん。実は、怪しい宗教に騙された人たちを救うことも寂聴さんの知られざる活動のひとつでした。
当時の様子を、『捨てることから始まる 「寂庵だより」1997‐1987年より』(「人を不幸にする宗教の存在」)から一部抜粋してお届けします。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
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お布施ばかりを求める「人を不幸にする宗教」
最近、目立って持ちこまれる相談に、これまで入っていた宗教団体から、脱退すると恐しい罰が下るといって、脅かされているという訴えが多い。
それ等の人々は、たいてい半分ノイローゼになっていて、顔色も悪く、目に落着きがない。必ずしも一つの宗教ではないが、揃って新興宗教であり、それぞれ相当有名なものばかりだ。そのどれもが、同じことを信者に教えているのが異様なほど一致している。
口を揃えて言うことは、「今、あなたのかかえている不幸か悩みのすべては、前世にあなたが(あるいは祖先が)ひどい悪業を犯したので、その罰が当っているのである。それを払うには、この教団に入って、教えを忠実に守り、過去の罪のつぐないをしなければならない。そのため、まず布施を仏に捧げることだ。布施はあなたの罪業の深さによって決る。あなたの罪業は人並でないから、もっともっと布施をすることだ」と言う。
それで布施をしても、しても、一向に身の不幸は好転しないし、病気は治らないし、家族まで災難にあうことが多いので、教団に訴えると、「それそれ、だからあなたの過去の罪はそれほど大きいのですよ。あなたの前世はダイバダッタというお釈迦さまに仇をした極悪人です。もっともっと本気で修行して、布施をたくさんしなさい」と言われる。
あんまり布施をとられるし、不安になって、もらって祀っていた本尊を返して、棄教したいと言うと、「そんなことをしたら、どんな恐しい罰と祟りがあるか怖くないのですか。ほら、そういう弱気をおこさせるのが悪魔のしわざで、あなたにとりついている。私にはその悪魔の姿が見える」と言われ、まわりにいる人にも口々に、「ほんとに見える。ああ恐しい」と言う。
そう言われると、その宗教をやめたいと思っている人は、祟りが恐しくなってすくんでしまうというのである。あんまり馬鹿馬鹿しいほど、どの宗教も同じパターンなので聞いていて呆れかえってしまう。オウムと同じで、これもまた一種のマインドコントロールである。
マインドコントロールされてしまっているので、そういう人達は、脱会したいとあせりながら、教祖のことは、「あの方は御立派な方です」とうわ言のように言う。