1997年夏、不慮の事故で亡くなったイギリスのダイアナ元妃。世界の王族の中でも、スター中のスターだった彼女の死を、瀬戸内寂聴さんはどう語ったのか?

 当時の思いを、寂聴さんが編集長を務めた「寂庵だより」の随想をまとめた『捨てることから始まる 「寂庵だより」1997‐1987年より』(「美人薄命」)から一部抜粋してお届けします。(全3回の1回目/#2#3を読む)

寂聴さんがダイアナ元妃の死について語ったこととは? ©getty

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夏の終りに訪れた突然の訃報

 この夏も終ろうとする8月31日、イギリスの元皇太子妃ダイアナが、パリで交通事故で死亡した。あまり突然のことで、しばらくニュースを観ても聞いても、衝撃の大きさにしばらく、信じられなかった。

 つい最近、イギリスの新聞に、ダイアナさんが、一番新しい恋人のドディ・アルファイト氏とのキスシーンの写真が報道され、500万ドル(日本円で約6億円)で取引されたと評判になり、なおそれが合成写真だったという落ちまでついていた。また、「ダイアナ、妊娠か」という見出しで、避暑地の水着姿下腹部のふくらんで見える姿が写されていた。王妃時代ダイエットの体操中のレオタード姿を盗み撮りして、ダイアナ妃が激怒したこともある。

 とにかく16年前、皇太子妃となって以来、ダイアナ妃といえば、世界中のカメラマンにとっては写したい最高の被写体だった。はなやかな美人で、若くチャーミングで、抜群のスタイルであった。そこに存在するだけで、あたりが明るく華やいだ。スター中の最大のスターだった。

 保母をしていた若い娘の、シンデレラ物語の主人公として登場して以来、ダイアナ妃には四六時中、カメラの砲列がついて廻っていた。

 一挙手一投足がことごとく世界に報じつづけられる生活では、どんな若いタフな神経でもおかしくなってしまうだろう。

 そのうち、チャールズ皇太子との不仲が報じられるようになり、皇太子には結婚前からの恋人で、人妻のカミラさんとの不倫関係がずっとつづいていたことが暴露された。やがて、ダイアナさんも不倫の恋が報道され、本人もそれを認める宣言をしたりして話題にこと欠かなかった。2人の皇子を産みながら、ついに昨年8月、皇太子との離婚が成立している。

 それだけでも波瀾万丈のめまぐるしい生活だったが、どんな場合も自分に正直であろうとした率直な人柄に人々は好感を持った。

 初めて本当の愛にめぐりあい幸福だと言っていた最新の恋人と、パリでデートの時、パパラッチと呼ばれるうるさいカメラマンたちに追跡され、地下道の壁に車で激突し、恋人と共に死亡したというのだから、最後の最後の幕切まで劇的であった。