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 竹中氏はその後、2004年参院選に出馬して当選し、2005年には担当大臣として郵政民営化を主導し、霞が関や経済界全体に絶大な影響力を誇るようになる。素人3人組が抵抗勢力を打ち負かす作戦を練るために集った日々がウソのようであった。

国会での竹中平蔵氏 ©文藝春秋

 永田町・霞が関に単身で乗り込み、既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。

 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった。竹中氏は小泉政権が終了した時点で大臣も参院議員も辞めたが、その後も今に至るまで大きな影響力を維持し続けている。当初は竹中氏と激突した霞が関や財界が「竹中化」したのだ。

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竹中氏は挑戦者から「既得権益側」に変わった

 竹中氏が労働市場の規制緩和を主導した後、人材派遣業界で急成長したパソナグループの会長になったこと、そのパソナが政府関連の業務を多く受注していることは象徴的である。挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になったといえるだろう。

 竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革がもたらしたものは何だったのか。株価はコロナ危機でもバブル期以来の高値を更新し、富裕層や大企業は潤い続けた。

 一方で非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した。対ロシア経済制裁による物価高や急速に進む円安のしわ寄せは、所得が低く弱い立場の人々ばかりに向かう。日本社会の健全さは損なわれ、活力は大きく衰えてしまった。

 格差が広がる日本社会の曲がり角で、私は政権中枢に接近し「改革」の片棒を担いだのかもしれない。

朝日新聞政治部

鮫島 浩

講談社

2022年5月27日 発売