「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」。2001年、上司の一声から竹中平蔵大臣に密着することとなった元朝日記者の鮫島浩氏。彼のボヤキを聞き、同じ釜の飯を食った鮫島氏が、今の竹中氏を見て「彼は既得権益側になった」と語る理由とは?

 登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

竹中平蔵氏 ©️文藝春秋

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 小泉政権が2001年春に発足した後、私は野党担当から官邸担当に移った。官邸クラブはキャップ、サブキャップ、官房長官番、官房副長官番、総理番が中心だが、私には明確な担当がなかった。さほど期待されていなかったのだろう。官邸キャップの渡辺勉さんから「明日から竹中平蔵大臣を回ってほしい」と告げられたのはそんな時だった。

 渡辺さんは、自民党を担当する平河キャップの曽我豪さんと並んで朝日新聞の将来を担うと嘱望された政治部のエースだった。森喜朗政権では森首相の「神の国発言」を記者会見で激しく追及。理知的な雰囲気を漂わせながら強い正義感と大胆さを秘めた切れ味鋭い政治記者である。

 竹中氏は慶応大教授から経済財政担当大臣に民間人として登用され、日が浅かった。小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた。小泉・竹中構造改革に対する「抵抗勢力」が健在な時代で、官邸主導の政治は確立していなかった。

「寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた」

「経済はまったくの素人ですよ」と私は答えた。渡辺さんは「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」と答え、背景を説明した。竹中大臣はその前夜、各社の官邸キャップを集めてオフレコ懇談を開いてこうぼやいたという。

「経済部の記者が私を担当しているのですが、誰も記者会見以外で取材してくれないんです。経済部は大臣より官僚を重視する。大臣が何を言っても事務次官が言うことを信じる。私はまったく相手にしてもらえないんですよ」

 渡辺さんは「竹中さんは寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた。経済はわからなくていいから、くっついて回って。そのうちわかるようになるよ」と言った。