1997年4月、大物政治記者が支局長を務める浦和支局に赴任した朝日新聞記者の鮫島浩氏。当時、若手の鮫島氏に「次期総理」の呼び声の高い自民党大物議員を取材するチャンスが訪れた。ところが、彼がそこで見たものは“政治取材の残念な実情”だった……。
登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「大物政治記者」との出会い
大物政治記者が支局長を務めるという浦和支局へ私が赴任したのは1997年4月だった。その人、橘優さんは政治部デスクから浦和支局長へ異動し、次期政治部長に有力視されていた。私が初めて出会う政治記者だった。
橘さんは前年、1996年の衆院解散・総選挙の日程をスクープした「特ダネ政治記者」として知られていた。「○日に解散へ」「○日に衆院選投開票へ」「首相が方針固める」といった前打ち記事にどれほどの意味があるのか、当時の私には理解できなかったが、彼のスクープは社内だけでなく政界や各社政治部の中でも高く評価されていた。
奇怪だったのは、橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。
新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。
政治取材の世界は違うようだった。次期総理の呼び声の高い加藤幹事長から総選挙日程の情報を漏らされるほど親しい政治記者であるという事実は、永田町の政治家や政治記者たちに尊敬とも畏怖ともつかぬ感情を抱かせ、橘さんの影響力を大きくしていた。
次期政治部長と言われるのは果たしてどんな人物なのか、私は興味津々で浦和支局へ向かった。初めて会った橘さんはカジュアルなチノパン姿だった。政治記者はスーツで身を固めていると思っていたから意外だった。