政治部と経済部の取材手法の違いはこの一言に凝縮されている。政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。
他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる。
竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断だった。のちに朝日新聞社を大きく揺るがすことになる渡辺さんと私の師弟関係はここに始まる。
朝から夜まで竹中平蔵と付き合った日々
こうして私は竹中大臣の番記者になった。朝から夜までつきまとうのである。全社が張り付ける官房長官番や幹事長番と違って、竹中番は私一人だった。私は竹中氏と政務秘書官の真柄昭宏氏と3人で毎日会った。昼は国会の食堂で、日中は大臣室で、夜はファミレスで、とにかく話した。
当時の竹中氏は政治家や官僚、記者から軽んじられ、私を相手にする時間が十分にあった。政治家の名前と顔もよく知らず、国会でトイレに行くにも迷うほどだった。
政治記者4年目の私のほうが政界事情に詳しく「野中広務さんと青木幹雄さんは○○な関係で……」とありふれた政界解説をしていた。「素人3人組」が寄り添って、政官業の既得権の岩盤に挑む戦略をああでもないこうでもないと言い合う、漫画のような日々だった。
竹中氏の経済解説は非常にわかりやすく、面白かった。自民党や財務省と経済政策や規制緩和策について折衝する舞台裏を包み隠さず話し、「抵抗勢力」を打ち破るにはどうしたらよいか私に意見を求めた。
小泉首相は経済政策の司令塔として竹中氏を指名し、あとは任せっきりという政治スタイルだった。当時の竹中氏は政治的に非力だったが、立場上ディープな情報は集まっていた。何にも増して小泉首相の肉声に日々接していた。