伊藤健太郎の映画復帰作は、阪本監督が本人と対話した際に感じた匂いや気配、独特の佇まいなどが、脚本に色濃く反映されている。2人の間ではどんなことが話され、映画にはどのように結実したのか?(構成=秋山直斗)
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伊藤 あの事故は、僕が主演した『十二単衣を着た悪魔』が公開される直前のタイミングでした。配給会社のキノフィルムズさんにはご迷惑をおかけしたにも関わらず、『冬薔薇(ふゆそうび)』では製作総指揮も務めるキノフィルムズの社長とお会いする機会があったんです。
「今後も芝居の仕事をしたい」と思いを伝えると、「わかった、映画作ろう」と、どういう作品にしようかといったことも完全に真っ新なまま今作の企画は立ち上がったんです。映画出演は、もっと先だろうということを覚悟してたので、こんなにも早くお声をかけてもらえたのが本当に嬉しかったですね。
阪本 それで社長から僕に監督をやらないかと声がかかって。伊藤くんのことは知っていたけど、作品は『十二単衣~』しか見ていない。40歳も齢が離れていて、あまりにも自分にとって無縁だった人を主演に迎えるわけで、とにかく生身の本人を知らないと映画のイメージすら湧かないので、とにかく2人きりで対話する時間を設けてもらったんです。
伊藤 それで腰を据えてお話しして……。
阪本 鼻くそほじりながら話を聞いたり、ぞんざいな態度をとったら辞めてやろうとは思ってましたよ(笑)。ってのは冗談だけど、会うにあたって僕も伊藤くんについてネットで調べるわけです。するとネットニュースに「現場での態度が悪い」などと書かれてるわけです。真に受けてるわけではないけど、一緒に作っていく相手として、そういうことは本当なのかどうかを確かめたかった。
自分はいつも主演を務める人から、家族構成や友達関係、どこで遊ぶのか……まあ、身元調査みたいなことを聞いて脚本のアイデアを膨らませていくんですよ。いつもは酒を飲んで腹を割って話すんだけど、今回はコロナで叶わなかったのは残念です。
伊藤 お茶でしたけど、監督が自身の恥ずかしい過去を語ってくれたおかげで、僕も心置きなく喋ることができました。そして出来上がった脚本には、僕が演じる淳という人間に自分と通底する部分を感じました。
特に小林薫さんが演じる父との、互いに臆病な親子関係というのは他人事とは思えなかったです。が、同時に僕をモデルにした人物というわけではなく、淳という人間の物語として非常に考えさせられました。
阪本 「失敗の中でもがく人間のストーリー」という点で観客からは、もしかすると伊藤健太郎の実人生を重ねた見方をされるかもしれないけれど、僕としては脚本の1行目を書いたときから淳の物語だったし、伊藤健太郎がカメラの前にたったときからは伊藤健太郎という存在は消えてフィルムに写っているのはあくまで淳であるという意識で撮りました。