私は驚いて立ち上がり、女性が近づいてくるのを待って、挨拶をした。
女性は吉永小百合だった。
実はその日、私は修善寺の旅館で吉永さんと会うことになっていたのだ。
当時、私はFMラジオで、自分が会いたいと望む人と会って話すという番組を担当していた。しかも、話す場所はスタジオではなく、相手の人が行きたいと望むどこにでも赴くという贅沢な番組だった。そこで、高倉健とは北海道の牧場で馬を見ながら、とか、美空ひばりとは赤坂の彼女の行きつけの料亭で酒を飲みながら、とかいうことになった。
吉永さんとは、『天国の駅』という映画を撮影中だったこともあり、現場に近い修善寺の旅館で、ということになったのだ。
だから、三島の駅で出くわすということもありえないことではなかったのだが、吉永さんほどの「スター」が自分と同じように鈍行の普通列車に乗るとは思っていなかったため、意表を衝かれたのだ。
それだけではなかった。そのとき、吉永さんはひとりの女性と一緒だった。たぶん、主演女優として映画の撮影をするためには、身近にさまざまな雑事をこなしてくれる人が必要なのだろうが、しかし、その女性はマネージャーや付き人などというのとは異なり、仲のよい年下の友人といった印象の人だった。そして、その二人は、ごく普通の旅行客というようなさりげない格好をしていた。
そう、吉永さんは、あらゆる意味において「普通」だった。スターである吉永さんは、ある時期から「普通」でありたいと願い、そのように生きることを意志している方だったのだ。たとえば、マネージメントひとつとっても人任せにせず、仕事の依頼を受けると自分で判断し、自分で返事をするようにされていた。
実際、修善寺の旅館でのその夜の対話は、吉永さんがいかに細心に、いかに全力で「普通であること」を貫いてきたかに驚かされつづけることになるものだった……。