「旅のバイブル」として根強い人気がある、ベストセラー『深夜特急』(新潮文庫)。その著者である沢木耕太郎が日本を北へ南へ、気の向くままに歩き続けた国内旅エッセイ集『飛び立つ季節 旅のつばくろ』(新潮社刊)の中から、かつて修善寺で対話した吉永小百合との思い出をつづったエッセイをお届けします。
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竹林を歩きながら
東京に生まれ育った私にとって、最も身近な観光地ということになると、やはり伊豆になるのかもしれない。
10代の頃、近所の子たちを引き連れて初めて夏のキャンプをしたのも伊豆の海岸だったし、老いた父母と最後に一緒の旅をしたのも伊豆の温泉だった。
それ以外にも、仕事に関係した多くの局面で、伊豆のどこかの観光地を訪れるということがあった。
先日、久しぶりに列車に乗っての旅をしてみようと思い立った私が選んだのは、修善寺行きの「踊り子号」だった。
長い間、名前だけは耳にしていながら一度も乗ったことがなかった。いつか乗ってみたいと思っていたが、なんとなく、いまがちょうどいい潮時のような気がしたのだ。
朝9時、東京駅から「踊り子号」に乗り込んだ。熱海で下田行きの車両と切り離され、三島でJRから伊豆箱根鉄道の線路に斜めに入っていく。その斜行感がいかにもこれから半島に向かうのだということを示してくれているようで嬉しくなった。
そのとき、ふと、かなり以前のことが思い出されてきた。
あれは、東海道新幹線で三島まで出て、伊豆箱根鉄道に乗り換えて修善寺に向かうときのことだった。
三島始発の列車の2両目に乗り、座っていると、しばらくして1両目に乗り込んで、こちらに歩いてくる女性が眼に入った。