糸井嘉男と、車いすソフトボールの絆
初めて糸井選手とお会いした時、「車いすソフトボールって知ってます? あれ、マジすごいっすよ!」と目をキラキラさせて話してくれた。
糸井選手は2019年8月9日の広島戦で盗塁時に左足を負傷し、手術を受けることになった。手術後、糸井選手の関係者の方が「関西アンバランス」という車いすソフトボールのチームを運営している縁で、競技用車いすをリハビリに活用することに。実は、その前年のオフに一度、糸井選手自身も関西アンバランスで車いすソフトボールを体験していて、「リハビリでやってみようかな」と思いついたのだそうだ。
リハビリでは、いろんなパラアスリートたちとの出会いがある中で、彼らが障がいを持つことになった経緯や、それを乗り越えてパラスポーツを始めるようになった経緯などを知ることに。糸井選手は、「いつかは治るケガのリハビリやってる俺が腐ってるわけにいかん、負けてられへん!」と奮起。彼らの存在が、つらいリハビリを乗り越える際の大きな励みになったのだ。
そこから糸井選手とパラアスリートたちの交流が始まる。関西アンバランスの練習に顔を出すようになり(その模様はご本人のインスタグラム@itoiyoshio_7でも公開中)、障がいを持つ人も持たない人も、そして糸井選手のようなトップアスリートも、誰もがみんな同じ目線で楽しめるこの競技にどんどん魅了されていったという。そして同時に、車いすスポーツの競技環境が十分に整っていないことも痛感したそうだ。
そこで黙っていられないのが、優しい男・糸井嘉男だ。
糸井選手は、自分が関西アンバランスの練習に顔を出す際、記者の方にも来てもらって、スポーツ紙の一面に出るように記事を書いてもらった。プロ野球選手である自分が動けば、それが記事になって、多くの人に知ってもらえると思ったのだ。この競技を一人でも多くの人が知れば、それはやがて競技の発展にもつながる。
そして、球団にも頼んでタイガースのユニフォームを準備してもらい、関西アンバランスの選手のみんなにプレゼントしたという。「リハビリの時にすごく励ましてもらったから、そのお返しがしたかった」と糸井選手は言っていた。
さらには、アドバイザリー契約を結んでいるファイテンとチャリTシャツを制作し、売上の一部をチームの支援に充てた。Tシャツには糸井選手のユニフォームの後姿と競技用車いすのイラストが描かれていて、強い絆を感じる。
車いすソフトボールを見学したり、一度だけ体験してみたりすることなら誰にだってできる。でも、糸井選手の場合は2018年オフの競技体験に始まり、2019年にリハビリで親交を深め、その後もメディアやファンを巻き込んで自身が抱いた思いをしっかり支援につなげている。これは、本気じゃないとなかなかできない。
「ホントに1回やってみたらいいですよ。やったら面白いってわかりますから」と熱弁していた糸井選手。
優しいって、カッコいい。そんなことを思わせてくれる糸井嘉男という人を、私はプレーヤーである以上に人として尊敬している。
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