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「劣等感や罪悪感を抱えながら過ごしていた」

 沖縄尚学高ではセンバツ甲子園で優勝。亜細亜大に進学後も強豪ぞろいの東都大学リーグ通算35勝を挙げ、リーグ新記録の22完封、420奪三振を記録するなど、これ以上ない実績を積み上げてプロ入りした。その当時、ある週刊誌では球界OB30名にアンケートを行ったところ7割の21名が「1年目から2ケタ以上勝つ」と、東浜に太鼓判を押していた。

 だがルーキーシーズンが終わった時、東浜はこれまで最も縁がなかったであろう言葉を口にした。

「挫折を味わった1年でした」

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 調整遅れから開幕ローテーション入りを逃し、4月11日のオリックス戦(ヤフオクドーム)でデビュー先発するも、初回に満塁本塁打を浴びるなどして、3回1/3を投げて6失点でノックアウト。続く登板でも打ち込まれると、以降は長いファーム暮らしとなった。1年目は5試合登板3勝1敗。先述のオールスターが行われた2年目も7試合登板2勝2敗とまるで振るわなかった。

 当時のホークスのファーム本拠地は、福岡市東区にある雁の巣球場だった。現在の筑後のような立派な施設ではない。古びた外観に土のグラウンド。球場は大きな運動公園の中にある施設の1つだった。

 ファーム暮らしをしていた東浜には「特別メニュー」が組まれていたのを憶えている。走って、投げ込んで、また走る。灼熱の夏場もそのメニューをこなした。もともと汗っかきだから、とんでもない大汗をかきながら公園内の球場周辺を何度もぐるぐる回っていた。たしか、登板するのは10日に一度程度で、1カ月近く実戦から遠ざかった時期もあった。いわゆる、プロ野球で通用するための体力作りに励んでいたのだ。その姿はまるで高卒ルーキーのようだった。

「大谷君や藤浪君、菅野さんの活躍は誇りに思っていました。その中で僕は最初の3年間、何もできなかった。あのオールスターは、劣等感や罪悪感を抱えながら過ごしていた頃。どん底でした。でも、モチベーションになっていました。いつか、自分もあの舞台に立ってやる。そう思っていました」

 東浜は努力の人だ。豊かな才能の持ち主であることは間違いないが、彼はそれを花咲かすために時間や思いを誰よりも費やしていた。

「追いつけ追い越せという気持ちでやっています。まだまだですし、自分が勝手に思っているだけ。一方通行です(笑)」

 10年目で初出場するオールスターは本拠地PayPayドームで投げるのか、それとも第2戦の松山のマウンドか。一体どんな局面で球宴デビューを迎えるのか非常に楽しみだ。

 また、初めてのオールスターでは何を楽しみにしているのか――?

「周りはすごい選手ばかり。ボールの握りだったり、マウンドでの心構えだったり、調整法など聞いてみたい。1つでもプラスになること、糧になることを持ち帰れる期間にしたいです。1秒を無駄にせず、楽しみながらもそれを忘れずに」

 いかにも向上心の塊である東浜らしい言葉だった。

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