大気が霧に包まれ、地表は氷雪にすっぽり覆われる。そんな厳しくも美しい場が、銀座の中心部に出現した。
昨今冷え込みが厳しいせい? さすがにそうではなく、銀座メゾンエルメス フォーラムでの展示だった。「グリーンランド」中谷芙二子+宇吉郎展。
都会に霧を復活させる
広い室内の全体が霞んでいる。霧が発生しているのだ。会場の「銀座メゾンエルメス」は、壁面が無数の半透明ガラスブロックでできている。外界から入り込む光が、霧に優しい表情を与える。霧の向こうにうっすら望むガラスブロックは、まるで氷の塊が積み上げられているかのよう。身を浸していると展覧会のタイトル通り、自分がグリーンランドの大地に立ち尽くしているかのような気分になる。
展示会場の特性を生かして作品を生み出した中谷は、いつも霧をモチーフに使う。これまで数々の「霧のある場所」をつくってきたけれど、室内でこれほど大規模に霧を起こして作品化したのは、今回が初めて。
「実験と観察を繰り返してなんとか霧をコントロールしようとするんですが、なかなかうまくいきません。結局、自然のなりゆきに委ねながらつくる部分が大きいです。でも、都会ではとかく邪魔者扱いされ排除されがちな霧を、ここでこうして復活させて楽しめるというのもいいかなと思うのです」
展示をスタートさせるにあたってそう語る中谷芙二子は、1960年代からアーティストとしてのキャリアを積み重ねてきた。1970年の大阪万博では人工霧を使った《霧の彫刻》を発表し、来訪者の度肝を抜いた。以来ずっと、霧による表現を探究している。
上に掲げた写真は、ダンスカンパニーとコラボレーションしながらニューヨークで実現させた《Opal Loop/Cloud Installation》。それに、東京・国営昭和記念公園こどもの森に恒久設置されている《霧の森》。環境そのものを変容させてしまう作品のインパクトには、絶大なものがある。
父・中谷宇吉郎の思い出に捧げる展示
霧という自然現象を扱うアーティストとなったことには、明確な理由がある。苗字から察せられるかもしれないが、彼女は日本を代表する科学者・中谷宇吉郎を父に持つのである。
宇吉郎は1936年、世界で初めて人工的に雪の結晶をつくり出したことで知られる。「雪は天から送られた手紙である」といった名言を含め、科学の知識をわかりやすく啓蒙した業績も大きい。科学的な知見と詩的な文章が融合した名著『雪』は、今も広く読み継がれている。
自然と人間の協働作業こそ科学である。そんな考えのもと研究を続けた父の姿を見ながら、芙二子は育った。霧という自然現象を表現の素にする発想が彼女の中に生まれるのは、当然といえば当然だった。
今展を「グリーンランド」と名付けたのも、父・宇吉郎と関連する。最晩年の夏の日々を、宇吉郎は雪氷研究のためグリーンランドで過ごしたのだった。氷壁に見える建物の壁面と自身の霧の彫刻によって、展示会場を家族にとっての思い出の地にしようと考えたのである。
外界の声に耳を澄ませ、虚心に学び、対象に寄り添う。かけ離れているように見えて、科学もアートもじつは同じことをしているのだ。銀座に出現したグリーンランドの大地が、そう教えてくれる。併せて展示された宇吉郎の遺品、写真、資料も見応えがあって興味は尽きない。