教師がいくら指導しても、彼女のなかには言葉がなく、自分の状況を客観的に捉えたり、なぜそれがいけないかも全く理解できていなかった。当然彼女がそのまま大人になれば生きる困難さを強く抱えますし、親になれば社会常識が欠如したまま子育てをして、負の再生産が起こります。
子供たちの国語力が身につきにくい要因
――問題の根深さを考えさせられる事例ですね。
石井 こうした国語力の低下は、実はよくしゃべる子にも当てはまります。乏しい語彙と短文で一方的な自己主張や好きなゲームの話とかはべらべら話すけれど、友達とのトラブルにならないよう相手の話を聞いて折り合うとか、周りに意思を伝えて物事を打開するとか、自分が生きやすくなる形で言葉を使えない子も多い。
不登校児たちを見ていても、自分の気持ちを言語化できない子供たちの一方で、よくしゃべるのにどうしてこんなにメンタルが弱いの? と大人が戸惑うようなタイプもいます。どちらも生きる力と結びついた国語力を育めていません。
――なにがこうした国語力の低迷を招いたのでしょうか。
石井 本書で多角的に詳しく取り上げましたが、一言でいえば現代社会を取り巻く諸問題が重なった結果です。家庭格差と言語発達の問題、ゆとり教育からつづく教育行政の落とし穴、深刻な教員不足と予算のなさ、ネット・SNSという特殊な言語環境、これらの要因が複雑に絡み合って、子供たちは生きる上で必要不可欠な国語力が身につきにくい環境におかれています。ギガスクール構想やアクティブラーニングなど、次々と目新しい教育プログラムは導入されているのに制度が形骸化しがちです。
不登校になった瞬間に、文字を書くことができなくなる子も
今、学校で大きな問題となっている不登校の子供たちと国語力の関係性についても一章分を割いて詳しくルポしました。不登校の子供たちの多くが、なぜ学校へ行きたくないのかと問われても、「わからない」と答えます。不登校の理由を答えられないのです。つまり、言葉によって、自分が抱えている問題を把握し、どうしたらいいのか、どうしたいのかという思考ができなくなっている。
その背景には様々な事情がありますが、本当にひどいケースでは、不登校になった瞬間に、子供自身の中で言葉が粉々に破壊されてしまい、会話をするどころか、ノートに文字を書くことさえできなくなる子もいます。それまで受験勉強をしてきて成績も抜群だったのに、ある日突然言葉を失ってしまう。
しかし、大人は背後に言葉の問題があることがわかっていない。だから無理やり理由を問いただそうとしたり、論理的に説得しようとしたりする。そうなれば言葉を失った状態の子供たちはますます困難に陥ります。