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 事件が起きた浜田市は人口6万人あまり。香川県坂出市出身のHさんは、その年の4月、地元の高校を卒業し、大学入学のため、浜田市にやってきたばかりだった。交友関係も限られており、重要参考人の絞り込みは容易であると見られていた。当然ながら捜査では、Hさんとは関わりのない“流し”による犯行の可能性も考えられていたという。島根県警担当記者は言う。

「Hさんが姿を消した市中心部から、遺体が遺棄された臥龍山に向かう国道186号線の金城地区には、通過車両のナンバーを記録するNシステムが設置されています。10月26日から11月6日までの間に通過した車両について、順次捜査が行われることになりました」

 だが捜査は難航を極めた。そのため、通常であれば半年以上経った事件に適用される「捜査特別報奨金制度」に、事件発覚3カ月後の10年2月から対象となった。

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 事件解決・被疑者検挙につながる有力情報の提供者に最大300万円が支払われるこの制度はその後、毎年更新を続けることとなる。

写真はイメージ ©iStock.com

7年後に書類送検された男は、死亡により不起訴

 事件が急展開を迎えたのは、発生から実に7年が経った16年12月のこと。

 島根県益田市の会社員・矢野富栄(よしはる)(事件当時33)が殺人、死体損壊、死体遺棄の容疑で書類送検された。だが矢野は死亡しており不起訴。被疑者を取り調べることはかなわなかった。彼はHさんの遺体が発見された2日後、山口県内の中国自動車道で事故を起こし、同乗の母親とともに死亡していたのだ。

 事件発生当初から取材していた私は、Hさんの新盆の直前である10年8月12日に、香川県坂出市にある実家で祖父と面会している。

「犯人が捕まるよりも、まず自ら名乗り出て、ちゃんと(事件の)話をしてもらいたい。いまはどんな相手か、顔もわからん状態ですから。ただ、出てきたら出てきたで、その相手を憎むやろうなあ。私だけやなく、家族全員が犯人が出てくるのをただただ我慢して我慢して、待っとる状態です」

「我慢」の日々は7年におよんだ。しかも犯人は死亡し、Hさんが殺された真相は永久にわからない――。あまりにも理不尽な結末だった。

 真犯人の割り出しに、なぜこれほどの時間がかかってしまったのか。

 行方不明になった当日、Hさんの帰宅ルートをはじめ、浜田市内各所にある防犯カメラに姿が映っていなかったことが大きい。

 またHさんがショッピングセンターから退出した前後に、なんらかのトラブルを目撃した人間はいなかった。そのため顔見知りの車に乗った可能性が高いとして、合同捜査本部は、彼女の交友関係の割り出しを最優先事項としていた。

 元捜査関係者が明かす。

「Hさんがショッピングセンターを退出した前後に、通用口付近で、白いセダンの目撃証言が複数あった。車種はトヨタのマークIIと見られ、まずは市内の同車種が徹底的に確認されました。やがてそれは同型種のトヨタ車にもおよび、それらの割り出し作業に時間を取られました」

 しかし――。真犯人の矢野が乗っていた車は、トヨタのコンパクトカー・ヴィッツだった。初動の捜査で実際とは異なる車種への絞り込みが行われていたことになる。