文春オンライン

〈大阪桐蔭、春夏連覇ならず〉”高校野球のヒール”西谷浩一監督はなぜ1学年20人しか入部を許さないのか

2022/08/18
note

 今年82歳になった井元(いのもと)俊秀は、PL学園の1期生として野球部を作り、同校が初めて甲子園に出場した時の監督でもある。その後は、PL教団の情報網や野球界の人脈を駆使し、KKコンビらのスカウト活動に奔走し、常勝軍団を築き挙げた陰の立て役者である。

 井元は02年にPLを離れ、青森山田を経て、現在は秋田でスカウトを担当している。

 井元はPL時代、ニコニコしながら近寄って来て、「僕は先生を目標にしているんです」と初対面の挨拶をしてきた西谷のことをよく覚えている。

ADVERTISEMENT

 どうしたら欲しい選手を獲れるのか。そう訊ねた西谷に、井元はこう答えた。

「選手勧誘にコツなんかない。良い選手と思ったら、熱心に通えばいい。誠意を見せたら、入学に反対する親だって理解してくれる」

 井元は青森山田で選手勧誘を担当していた09年、石川県の白山能美ボーイズというチームに足を運んだ。そこの監督はPL学園のOBで、監督の息子である両投げの投手と、捕手、遊撃手の3人を青森山田に誘おうとしていた。そこに突如、現れたのが西谷だった。

「『あの投手が欲しい』という西谷君に対し、僕は『彼の父親はPLの教え子だぞ』と伝えたところ、『分かっています。でも、絶対に欲しいんです』と譲らない。結局、その投手は大阪桐蔭に行きました」

 その選手は大阪桐蔭の主将を務め、外野手として12年の春夏連覇を達成。青森山田に進んだ遊撃手は、甲子園出場こそ叶わなかったが、日本大を経て昨年、中日ドラゴンズにドラフト2位で入団し、新人王を獲得した。京田陽太である。

しつこさは業界では有名「“洗脳”するようにスカウト」

 生駒山にほど近い寮に暮らす大阪桐蔭の選手の多くは、中学硬式野球の日本代表歴を持つ、野球エリートたちである。

 大阪桐蔭では土曜日も授業があるが、社会科の教師である西谷は授業を受け持っていない。選手たちが机に向かっている土曜日の午前中を、選手の視察や勧誘に充てている。

西武の浅村、中村剛也、森も桐蔭OB

 西谷のスカウティングのしつこさは、高校野球の世界では有名だ。欲しい逸材がいたら、広島だろうが、佐賀だろうが、何度も足を運び、既に進学先が決まっている選手に対しても、合格が出るまで、執拗に口説き続ける。