現在、私たちの生活や仕事では「人工知能(AI)」がさまざまな形で実用化されている。しかし、人工知能にも便利な面とリスクとがある。その点を十分に理解したうえで、どう付きあっていくべきなのかを考える必要があるだろう。

 ここでは、5人の識者が“AIと人類の現在地”に迫った『私たちはAIを信頼できるか』(文藝春秋)から一部を抜粋。社会学者の大澤真幸氏が、認知科学の観点から人間と人工知能の関係について述べたエッセイを紹介する。R2D2に先立って作られた「3つのロボットの失敗の物語」とは?(全2回の2回目/1回目から続く

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AIを理解すると、人間についての理解が深まる

 私の専門は、社会学である。とりわけ社会学的説明のベースとなる理論や哲学を研究している。人工知能AIは、私の専門ではない。が、私は、20代の頃より、AI研究の動向にも関心をもってきた。

 もちろん、AIに関心をもっている社会学者は多いだろう。その場合の学問的関心の焦点は、主として、AIの社会的影響にある。AIの導入と普及は、われわれの社会生活に大きな変化をもたらすと考えられる。

 私も、社会学者として、そうしたことにも興味がある。特に、AIが人間の脳にダイレクトに接続されるようになれば、「人間」という概念そのものにすら大きな転換が生じうる、と私は予想している。しかし、私が最初にAIに関心をもつようになった理由は、こうした主題にあったわけではない。

 私がAIの研究に注意を向けるようになった1980年代後半は、第2次AIブームの渦中であった。AI研究には、現在までに3回の流行の波があったとされている。第1次ブームがあったのは、第2次世界大戦が終わって間もない1950年頃から60年にかけての時期だが、この頃、日本は貧しく、このブームには参加できず、蚊帳の外であった。

 1980年代に、第2次AIブームが訪れ、このときは、日本の研究者や技術者も中心的なプレーヤーとなっていた。

 現在は、2010年頃から始まる第3次ブームの中にあるわけだが、私がAIに興味をもち、その基本的な動きを注視するようになったのは、その前の第2次AIブームのさなかであった。どうして、私は、AIに――そして関連する認知科学の研究に――、知的関心を向けたのか。その当時、流行っていたから……ではない。

 AIを見ると、人間だけを見ていたときにはとうてい発見することができない〈人間のこと〉がわかるのだ。AIについて勉強すると、AIについてよく分かる――のはあたり前だが、それだけではない。〈人間〉についての理解が深まる。しかも――ここが肝心なところだが――、もし人間だけを徹底的に(自己)観察していただけなら見出しえなかったことが、AIについての認知科学を媒介にすると見えてくるのだ。