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「事故については、園児をバスから降ろす際の確認不足や、千奈ちゃんがシステム上『登園』扱いになっていたこと、また千奈ちゃんの不在にも気づかず保護者に連絡を取らなかったことなど、既に重大な安全上の『過失』が指摘されています。園は、こうした安全管理の杜撰さを釈明しようと保護者向けの説明会を開きましたが、結果として火に油を注ぐ形になりました。説明会の最中に保護者たちが過呼吸や体調不良を次々訴え、ついには『女性が泣き叫んでパニックになった』という内容の119番通報が入り、救急車が出動するなど、最悪の事態を招きました。結果的に説明会は1時間余りで中止に追い込まれました」

廃園を約束した念書の存在

 説明会がここまで“大混乱”したのは、参加していた千奈ちゃんの遺族が放った“嘘つき”の一言だったという。再び参加者が続ける。

「嘘つき」と遺族に批判された増田立義園長 Ⓒ共同通信

「ご遺族がそう発言されたのには理由があって、実は保護者説明会に先立つ6日、増田園長ら川崎幼稚園の関係者がご遺族のお宅へ謝罪に訪れていたそうなんです。千奈ちゃんを死なせてしまった責任をとるよう強く求めたご遺族に対して、園長先生たちは川崎幼稚園を『廃園にする』と一筆書いたそうです。それなのに説明会では今後の幼稚園の経営については『改善して頑張ります』とお話しになった。一夜明けて言を翻した幼稚園側に、ご遺族の“不満”が爆発したのも当然の流れではなかったかと思います」

 保護者への説明会の後、15時から行われた記者会見でも「廃園」の念書の存在が明らかになっている。遺族への対応状況を聞かれた増田園長は「『廃園と書け』と言われたので書きました」とこともなげに答えている。幼稚園に遺族側との前日のやりとりについて問い合わせたところ、担当の弁護士は「遺族側とのやり取りについては回答は差し控えさせていただきます」と応じた。

 遺族への謝罪の場という最も重大な局面を切り抜けたい一心で「廃園」の一筆を残しておきながら、舌の根も乾かぬうちに幼稚園存続をにおわせる――こうした“その場しのぎ”ともとれる増田園長らの姿勢に疑問を持つのは、別の園の関係者だ。

 記者会見で「園児がバスに残っていないか、なぜ確認しなかったのか?」と問われ、増田園長は「いつも(バスの運転を)やっていなかったので、運転をすることに不慣れだった」と釈明した。しかし、この関係者によると「園長が運転する様子を目撃することは少なくなかった」という。

千奈ちゃんが亡くなったバスには窓にまでペイントが施されていた(川崎幼稚園HPより)

「たまに園に挨拶に行くと、増田園長の息子さんはいつもいらっしゃいますが、『園長は送迎で不在です』と言われることも頻繁にありましたよ。会見では、千奈ちゃんを何度も『ちなつちゃん』と言い間違えていましたし、園の存続について問われても「県と市の特別監査の結果を踏まえて判断する」と、これまた保護者への説明とは異なる内容を話していました。当事者として事故の重みを本当に受け止められているのかどうか……」