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“ハイスペック人材”にならないと生き残れない? OECDの“ものさし”から抜け落ちているもの

『子育ての「選択」大全』#2

note

「当然ながら、学校などでのいわゆるお勉強は、今後もやはり必要なのです」

 しかし、どうしてもそりが合わないとか、意見が合わない相手というのが世の中にはいます。そんなときに必要になるのが論理的コミュニケーションです。

「あいつ、めんどくさい」とか「あいつ、嫌い」とか言って拒絶したり、論破したりするのでなく、論理的に意見をすり合わせ、共通の議論の前提に立とうとするかかわりです。

 共感的コミュニケーション力は非認知能力的なものですが、論理的コミュニケーション力を高めるためには学校での教科学習などを通した認知能力の向上が欠かせません。そして、多様な文化や思想を背景にもつひとたちとのかかわりが増えていくであろうこれからの時代において、論理的コミュニケーション力はますます重要になるはずです。その意味で当然ながら、学校などでのいわゆるお勉強は、今後もやはり必要なのです。

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 ここに挙げた3つの力は、これまでの人類の歴史のなかでも常に必要だった力です。ただし、産業革命以降、資本主義市場が爆発的に拡大していた時期には、(1)>(2)>(3)の順番で重要とされていました((1)がいちばん重要)。市場が拡大しているので、言われたとおりに過去の成功事例を踏襲するだけでよかったからです。

 でもVUCAな時代には(3)>(2)>(1)の順番で重要になります((3)がいちばん重要)。みんなで手を携えることが、予測できない大きな変化に備える最大のリスクヘッジだからです。

「ここで冷静に考えてみましょう」

 ここで冷静に考えてみましょう。

 現在はVUCAな時代といわれますが、人類の歴史のなかで、VUCAでなかった時代なんてごく例外的な一時期しか存在しなかったのではないでしょうか。日本でいえば戦後の社会構造が確立してから高度成長期までの、ほんの数十年間においてのみ、前例踏襲することがあたかも「正解」のように錯覚的に見えていた時期があっただけです。

 それ以外の時間ずーっと、人類は常に正解がわからないVUCAな世の中を生きて、生き延びてきたわけです。環境の変化に応じて変化するのが生物の本質ですから、人間も生物としての本質さえ失わなければ、きっと大丈夫なんです。

 むしろ現代社会に過剰適応しようとして、過度に社会化されることで、生物として本来もつ力を失ってしまうことのほうが怖いわけです。

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