「時代の変化がこれだけ激しいのだから、教育ももっと変わらなければいけない」とよくいわれる。しかしそれこそが思い込みではないだろうか。いや、たしかに教育が変わらなければいけない点はたくさんある。でもそれは、必ずしも時代の変化に敏感に適応することではないと教育ジャーナリストのおおたとしまささんは言う。その真意を、最新刊『子育ての「選択」大全』から抜粋・再編集し、前編・中編・後編にわけて紹介する。
※注:「VUCAな時代」とは、正解がない時代、先行き不透明な時代のことを意味します(Volatility/変動性・Uncertainty/不確実性・Complexity/複雑性・Ambiguity/曖昧性の頭文字)。
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まわりの子どもたちの幸せも考える
OECDが掲げるEducation2030の最重要概念として、「ウェルビーイング」と「エージェンシー」という用語が登場します。
ウェルビーイングは「より良く生きること=幸せ」という意味です。個人としての幸せだけでなく、人間社会全体だけでもなく、生物全体、地球全体にとっての幸せです。
エージェンシーは「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と定義されています。要するに「自分軸をもて」「指示待ちっ子になるな」ということです。もっと大胆に言い換えれば、「未来を予測したいのなら、自ら未来を創ってしまえ」くらいの意味です。
地球全体の幸せを願って、自ら考え行動できるひとを育てようと、Education2030は言っているわけです。
そこには誰も異論を挟まないでしょう。ただ、そのためにOECDがさまざまな能力を定義し、学校教育を通してそれらを子どもたちにインストールしようとする考え方には当然ながら、世界中の教育関係者からの反発もあります。
世界中のみんながみんなGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)のようなグローバル企業でエグゼクティブに働くわけではないのに、子どもたちに多くを求めすぎだというのです。私もそう思います。
その子のもっているものが育つのを応援するという意味での「教育」と、これからの社会で求められる能力や資質を備えた人材を育てようとする「人材育成」は、発想の方向性からして似て非なるものです。
私なんかは、OECDの発想には人材育成のにおいを強く感じてしまいます。
そのような“ハイスペック人材”にならないとこれからの時代を生き残れないのだとしたら、悪いのは教育ではなくてそんな社会構造です。
そのような社会構造を「メリトクラシー(業績主義/成果主義/功績主義)」といいます。そういうダメな社会構造をつくらないために必要なのは、「子どもたちに“ハイスペック人材”にならないと生き残れないよ」という損得勘定的メッセージを与えないことです。