自分にも“崖っぷち”だった過去
デビューして2年目の嶺井は74試合に出場し順調なステップを踏んだように見えたが、翌年ラミレス新監督が戸柱恭孝を正捕手として起用し嶺井はわずか11試合の出場にとどまる。5年目は自己最多の91試合に出場するも、その後3年間で64試合、41試合、36試合と出場試合を減らした嶺井は右肘のクリーニング手術を決断。手術の影響もあり9年目の今年はプロ入り初のファームキャンプからのスタート。
崖っぷちに立つ31歳である。
崖っぷちといえば、アナウンサー2年目の自分を思い出す。
ニュース読みは下手だがキャラクターが面白いと「オールナイトニッポン」のパーソナリティに抜擢してもらったものの、煌びやかなアーティストや芸人の間に埋もれ1年で番組は打ち切りの憂き目にあった。「読めないし喋れないならアナウンサーとして使い道がない。営業に異動させよう」。そんな噂もたった。
戦力外通告である。
ある日プロデューサーが声をかけてくれた。
「名前を変えて髪をモヒカンにするなら新番組のレギュラーとして使いたい」
わたしは二つ返事でモヒカンになった。
故郷の母はモヒカンの息子を見て泣いた。
そんなことまでしないとアナウンサーを続けられないなら沖縄に帰っておいでと。
しかしアナウンサーは放送に出られないと活路を見出すことができない。どんなことをしてももう一度チャンスが欲しかった。
今年4月12日、13日に沖縄で初の巨人主催の公式戦が開催された。
開幕から出番のなかった嶺井だがチームに帯同していた。12日、先発マスクは山本祐大。試合は巨人のワンサイドゲームとなった。わたしはテレビの前で思わず叫んだ。
「嶺井を使えよ!!」
9回ついに代打嶺井が告げられる。代わったばかりのピッチャー平内の初球をファウル。2球目のストレートをライトへ運ぶ。沖縄セルラースタジアム那覇のやわらかいカクテル光線のもとベース上で嶺井は小さくガッツポーズをした。
嶺井はやはり沖縄の星なのだ。
嶺井は村上宗隆のツボを見つけられるだろうか
6月7日今永昇太のノーヒットノーランのマスクも嶺井だった。
キャッチャー好きとして思う。ノーヒットノーランを達成したときなぜヒーローインタビューにキャッチャーも呼ばないんだろうと。
野村克也さんの配球理論へのカウンターとして「配球は全て結果論」だという意見もある。抑えれば正解。勝てばそれが正解。キャッチャーの評価はあいまいだ。
8月26日からのスワローズとの首位攻防戦。初戦と3戦目のマスクは嶺井だった。絶好調のスワローズ・村上宗隆選手がベイスターズと嶺井の前に立ちはだかった。
初戦の村上は4打数2安打2ホームラン。3戦目は2打数2安打。メタメタに打ち込まれてしまう。
打たれれば不正解。嶺井の負けである。
村上宗隆は今いちばん大きな敵だ。
私は『アッコのいいかげんに1000回』というラジオ番組で、20年以上、和田アキ子さんという芸能界のスラッガーとスタジオで対峙している。
良くアッコさん攻略のコツを訊かれる。実はツボは1つしかない。
「歌手和田アキ子をリスペクトすること」
これさえ外さなければアッコさんに多少の失礼なツッコミをしようとも許される。
嶺井は村上のツボを見つけられるだろうか。
迎えた9月11日、12日の2連戦。嶺井は見事に村上を3打数ノーヒット、2打数ノーヒットと打ち取りリベンジを果たした。
エスコバーの内角をえぐるツーシームが村上の太ももへ当たり、両チームが厳しいヤジを飛ばしあうという遺恨を残しはしたが。
スナイパーの仕事はここ一番というときに相手を打ち取ること。
例えばクライマックスシリーズの行方を決する9回ツーアウト満塁。バッター村上。
スナイパーはたった一度の射撃で敵を確実に仕留める。今シーズンの全てをひっくり返す。
そして運をもっているスナイパーでないとそんな絶好の場面は巡ってこない。
約束されたスナイパー嶺井が静かにスコープをのぞきこむ。
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