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「打倒巨人」を叫ぶドラゴンズは強い

 生まれる前に父を亡くした星野が、オヤジと慕った男が2人いる。明大の島岡吉郎監督と、ドラゴンズの水原茂監督だ。

 水原は巨人戦に異様な執念を燃やしていた。巨人の球団社長とケンカ別れしてドラゴンズにやってきたからだ。水原の後を継いだ与那嶺要も打倒巨人に執念を燃やした。与那嶺も川上哲治によって巨人を放出されていた。星野は「僕が巨人戦に燃えたのも、この二監督の怨念が乗り移ってきた影響もある」と語っている(前掲書)。与那嶺のもとで星野は大車輪のごとく活躍し、巨人のV10を阻止してみせた。“野武士野球”を標榜してリーグ優勝を果たした近藤貞雄もかつて巨人を追われた身であり、巨人に怨念を抱いていた。クールな落合だって堀内巨人を徹底的に叩き、原巨人とも正面からぶつかった。

「打倒巨人」を旗頭にしたときのドラゴンズは強い。そのことをもっとも強く感じ取っていたのが星野だろう。「打倒巨人」という言葉は名古屋ならびに東海地方の人々の心にも火をつける。「花の都大東京」なんて絶対言わない“大いなる田舎”スピリット。亡くなる直前、星野はラジオで「名古屋気質を大切にしてほしい」と語っていたが、つまりそういうことなんじゃないだろうか。星野逝去の報の後、巨人ファンの知人が「本当に嫌いだった」とフェイスブックに書き込んでいた。そりゃそうだろう。そうでなければ困る。ファンは殺気立った星野野球に魅了された。監督11年で優勝2回Aクラス8回。しかし、数字以上にあの頃のドラゴンズは強く、激しかった。

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1988年、セ・リーグ優勝時 ©文藝春秋

 ならば今、ドラゴンズがスローガンにしている「原点回帰」とは「打倒巨人」ではないのだろうか。「打倒広島」でもいいのだが、やっぱり「打倒巨人」がしっくり来る。物分りのいい顔をせず、巨人に牙を剥いて戦おうではないか。

 野球殿堂入りのパーティーで「夢は阪神と楽天の日本シリーズ」と語っていた星野さん。ドラゴンズファンとしてこんなに悲しいことはない。だけど、原点回帰して巨人を叩きのめせば、あの世で「おっ、やればできるやないか!」と満面の笑顔で振り向いてくれるような気がする。待っててよ、星野さん。

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