大正4年12月。死者6名、負傷者3名を出した、日本史上最悪の獣害事件「三毛別羆事件」。北海道の小さな村で、羆はなぜ人間を襲撃し、人間は恐るべき羆とどのように向き合ったのか。
ここでは、動物文学の雄、戸川幸夫氏が「三毛別羆事件」を綿密に取材し、小説化した原作を矢口高雄氏が漫画化した『野性伝説 羆風・飴色角と三本指』(ヤマケイ文庫)の一部を抜粋。矢口氏のあとがきとともに紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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事件から46年後に動き出した「羆事件」の真相究明
本作品の羆事件。もし、今日こんな惨事が起こったならばどうなるだろう。少なくともテレビや新聞等のマスコミがわんさか押し寄せ、すさまじい報道合戦を繰り広げることになるだろうし、警察当局も徹底した検証を行い、今後の対策を打ち出すことになるだろう。
しかし、当時の社会にはそんな機能がなかった。例えば、新聞がその第一報を報じたのが事件発生より5日後のことだったし、記事内容も甚だ簡単なもので、しかも正確さを欠いていた。つまり、世間的に見れば電燈も引かれていない未開の、辺境の彼方の出来事だったのだろう。その証拠に、これほどの惨事にもかかわらず、事件の検証も、記録さえもほとんどないまま歳月が流れ、人々の記憶から次第に遠のきつつあった。
事件から46年を経た昭和36年、その真相究明に乗り出した一人の男がいた。この年、事件地を管内に持つ古丹別営林署に転勤を命ぜられ赴任して来た林務官・木村盛武氏(大正9年生まれ)だった。
木村氏は、祖父も父も林務官という家庭に生まれたこともあって、惨劇のあらましを4~5歳頃に聞かされ、恐ろしさのあまりトイレにも行けないほどのショックを受けたという。その恐怖の記憶が、祖父や父と同じ林務官の道を歩むことになった木村氏のイマジネーションを喚起し、事件の真相究明へと駆り立てたのだろう。
即ち、木村氏にとって古丹別営林署への転勤は運命的なものであり、願ってもないチャンスの到来だった。さらに幸運なことに、事件後46年も経過していたにも拘らず、奇跡の生存者が4名もいたことと、遺族や討伐隊として活躍された方々、幼少ながら事件を見聞きした人達等、30数人もの生き証人がいたことである。木村氏は多忙な仕事の合間や休日を利用して、それらの人々を片っ端から尋ね、徹底した聞き取り調査を行ったと言う。犠牲者の霊を慰め、遺族の心を安んじるためには、この事件を風化させてはならない、という一念に燃えてのことだった。