『語学の天才まで1億光年』(高野秀行 著)集英社インターナショナル

 ノンフィクション作家である著者は、ムベンベという謎の怪獣を探しにコンゴへ出かけたり、ケシ栽培を体験するため東南アジアの麻薬地帯に潜入したりしてきた。本書はその中でも、とくに語学に焦点を当てながらまとめたものである。

 新しい言語を学ぶのが大好きな著者だから、今回も「語学愛」に満ち溢れているはず。その気持ちはわかるのだが、いかんせんわたしとは目指す方向が違う。旧ソ連・東欧を追いかけてきた者にワイルドな地域での過激な体験がどこまで理解できるか、読み始める前は一抹の不安があった。

 ところが読み進めてみると、これが共感の連続なのである。たとえばロクに知らない言語の翻訳を引き受けて四苦八苦する。現地で会った日本人から現地人と誤解されて日本語を誉められる。大学で教えるときにはネクタイを締めていたことまで同じだ。自分もまた、そうでもしなければ教師に見えない20代の若造だったことを思い出す。

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 語学体験を経て学んだこともまた共通する。文法書の説明と現実が離れすぎている。人によって発音がぜんぜん違う。何を基準に学んでいいのか、途方に暮れたことも変わらない。

 世界の言語の位置は多様である。「現地語を話してウケる喜び」もあれば、「現地語を話してスベらない安心感」もある。一方で、コミュニケーションは共同作業でありながら「どこの馬の骨かわからないアジア人である私たちに無関心もしくは冷淡」ということもある。複数の言語を追いかければ、必ず感じることだ。

 ただし本書は単なる感想に留まらない。言語学的考察も慎重で、多くの専門家の意見を紹介したうえで、自分の見解を明確に述べる。学術的なフィールド調査と変わらないが、そこは作家だからサービス満載で、読者を決して飽きさせない。

 書名が『語学の天才まで1億光年』だから、「天才」がキーワードになるかと思いきや、意外とそうでもない。探検部の後輩を「語学の天才」と評するものの、だからといってその後輩を詳しく観察したり、その方法を真似したりはしない。著者自身にしても、中国語の先生からは発音を覚えるのが早いと驚かれて「天才」といわれるが、後に同じ人から怠け者といわれて落ち込んだりしている。

 考えてみれば、語学の天才が本当に存在するのなら、著者が追いかけないはずがない。1億光年だろうがもっと遠かろうが、なんらかの方法で見つけ出そうと努力するのではないか。

 著者による学習法だけが知りたければ、第5章にたった3行でまとめてある。だがそこだけ拾い読みしても、得るところは何もない。一方でエピソードに笑い転げたりハラハラしたりしながら、自分の語学を振り返る気持ちがあれば、本書はわたしも含めた天才ではない人に、「語学愛」を伝えてくれるのである。

たかのひでゆき/1966年東京都生まれ。ノンフィクション作家。早大探検部時代に書いた『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞。他の著書に『辺境メシ』『幻のアフリカ納豆を追え!』等。

 

くろだりゅうのすけ/1964年東京都生まれ。神田外語大学特任教授。著書に『チェコ語の隙間の隙間』『はじめての言語学』等。