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ナチスドイツもアトランティスを信じた? 証拠がなくても「失われた大陸」伝説が人々を魅了するワケ

三中信宏が『アトランティス=ムーの系譜学』(庄子大亮 著)を読む

2022/11/01
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『アトランティス=ムーの系譜学』(庄子大亮 著)講談社選書メチエ

 今から1万年以上前に大西洋に沈んだとされるアトランティス、太平洋に没したと言い伝えられるムー大陸、そしてインド洋にあったと想定されるレムリア大陸――これらの「失われた大陸」の伝説を根も葉もない偽史に過ぎないと一蹴することはおそらくたやすいだろう。私自身も本書を最初に手に取ったときは、いまどきこんなテーマにつきあうまでもないだろうにと疑心暗鬼にとらわれたことを正直に告白しよう。

 しかし、本書の著者は、おびただしい資料を博捜しながら、古代ギリシャのプラトンの著作に始まるアトランティスやムーの伝説が、実質的証拠が何一つないにもかかわらず、21世紀の現代にいたるまで途絶えることなく継承されてきた理由とその背景を解明している。高度な文明をもっていた空想上の「失われた大陸」を欲していたのはほかならない人間だったのだ。実際、歴史を通じてわれわれはさまざまな主張や理念、ときにはオカルト神秘思想を「失われた大陸」と結びつけてきた。

 本書はこの「失われた大陸」伝説の世界への波及をつぶさに拾い上げている。たとえば、第二次世界大戦時にナチスドイツの思想的基盤をつくったアルフレート・ローゼンベルクは、反ユダヤ主義につながるアーリア人種至上主義を掲げ、アーリア人の起源はアトランティスにあると主張した。ナチス内でローゼンベルクと対立したハインリヒ・ヒムラーもまたナチス親衛隊(SS)直属の研究機関アーネンエルベを動員してアトランティス人の痕跡を調べさせた。

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 日本も例外ではない。地震や津波による大災害を繰り返し経験してきた日本だからこそ「失われた大陸の物語は共感を呼び続け」「神話形成を刺激し続ける」と著者は言う。それは日本の文化的文脈の中で現在に至るまで根深く生き続けている。1970年代に始まった日本のオカルト・ブームでは、UFOや超能力・超常現象への強い興味が「失われた大陸」伝説を後押しした。

 その影響は文芸分野にも拡散していった。著者は小松左京のSF小説『日本沈没』(1973)とその映画とドラマが大ヒットしたことに言及している。そういえば、私も70年代当時とても人気があったエーリッヒ・フォン・デニケンの宇宙人到来本を読んだことがあった。科学の“外側”へのいささかうしろめたい関心は科学によってすぐにぬぐい去られるわけではない。

 本書を手にした読者は、失われた“起源”――それは海に沈んだ大陸だったり、大昔に絶滅した祖先だったりする――を執拗に追い求める人間の根源的欲望を垣間見ることができるだろう。われわれの目には見えない失われた“もの”が背後の闇から現実世界を操っているのだ、という言説が繰返し復活する理由はそこにある。

しょうじだいすけ/1975年、秋田県生まれ。京都大学大学院文学研究科指導認定退学。関西大学ほか非常勤講師を務める。専門は西洋古代史・西洋神話研究。著書に『大洪水が神話になるとき』『世界の見方が変わる ギリシア・ローマ神話』等がある。
 

みなかのぶひろ/1958年、京都市生まれ。農研機構農業環境研究部門専門員。著書に『読む・打つ・書く』『系統体系学の世界』等。

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