セリでの取引価格はわずか1000万円。通算成績は26戦14勝、7つのG1レースを制覇――1998年から2001年の間、競馬ファンたちを熱くした名馬・テイエムオペラオーとはどんな馬だったのか?

 その肖像を追った競馬ライター・小川隆行氏の新刊『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

1999年の皐月賞・優勝したテイエムオペラオー。単勝人気は11.1倍だった(画像:時事通信)

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1999年のテイエムオペラオー

 3連勝で毎日杯を制覇したテイエムオペラオーは皐月賞に挑んだ。

 1番人気は弥生賞2着のアドマイヤベガ(単勝2.7倍)。弥生賞では前を行くナリタトップロードを追い込むも1馬身届かず2着だったが、メンバー中トップとなる上がり35秒0の末脚を使っており、トップロードを逆転するとみられていた。ここまで[2・1・0・1]という成績だったが、新馬戦(4着)は1位入線も進路妨害で失格。実質的に連対を外していなかったことが1番人気の要因となった。

 父はサンデーサイレンス、生産はノーザンファーム、そして鞍上は武豊。1番人気になる要因が揃い過ぎていた。

 2番人気は弥生賞を勝ったナリタトップロード(単勝3.3倍)。過去5戦で3着を外したことがなく「馬券になる確率はもっとも高い」とみられていた。若葉Sを制したマイネルプラチナムが3番人気だが、単勝オッズは2頭から大きく引き離されており、多くのファンが2頭の一騎討ちを予測していた。

 毎日杯を勝ったテイエムオペラオーは5番人気(単勝11.1倍)。前走の鮮やかな勝ち方はまるで評価されていなかった。同レース2着のタガノブライアンはダート戦で初勝利を挙げており「メンバーが弱かった」とみられたのも低評価の要因だった。

 オペラオーの出現以前、毎日杯を勝った皐月賞馬は1977年のハードバージ1頭のみ。皐月賞出走を目標に毎日杯で目一杯に仕上げるため、皐月賞では余力が残らない。それが勝利に結びつかない一因だったが、このときのオペラオーは前走以上に元気であり、穴ムードも漂っていた。

「神経が過敏な馬だけに長距離輸送の影響が心配されたが、首から胸にかけてのたくましい筋肉をみる限り、それほど問題なかったようだ」とは直前の記者評価である。

 ワンダーファングが出走を取り消し17頭立てとなったレースは17番人気アドマイヤラックがハナを切り、7番人気トウカイダンディー、11番人気マイネルシアター、14番人気マイネルタンゴらの人気薄勢が先団を形成。

 人気馬は揃って中団より後ろに位置した。ナリタトップロードは内ラチ沿いで8番手、同馬をマークするようにアドマイヤベガ。オペラオーはさらに2馬身後方の外目に位置した。