唐突に「君はまだシンデレラさ 」と語る産経おじさん
いたのである。産経おじさんが。
【主張】成人の日 「誰か」ではなく「自分」が(1月8日)
《大人の仲間入りをした「はたち」の皆さんにまずは、「成人の日おめでとう」とお祝いを申し上げたい。その上で改めて問うてみたい。》
おめでとうの前に「まずは」とつける。説教する気満々。
産経おじさんはある曲を紹介する。
《大人の自覚とは何か。これにはさまざまな見方があろうが、考える一つの糸口として「想い出がいっぱい」という歌を紹介したい。CMソングでもよく知られる「大人の階段昇る」の一節のあと、詞は「君はまだシンデレラさ しあわせは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね」と続く。》
かなり唐突な印象だが、引き続き主張に耳を傾けてみる。
《誰かが幸せにしてくれるのを待ち続ける姿勢は「シンデレラ症候群」とも呼ばれるが、ここには大人の自覚は見られない。自らの人生は自らの力で切り開くと決意することこそ、大人の階段を昇る第一歩なのではなかろうか。》
35年前の曲を持ち出し「ここには大人の自覚は見られない」と叱っているのだ。見事である。言い訳しながら説教する朝日おじさんに比べ、威風堂々の説教おじさんの産経。おじさんに照れてない。
読売社説は1日ズラして、堂々と
さてそんななか、読売新聞は成人の日に若者向けの社説は書いていなかった。読売も威風堂々のおじさんなのでそのメッセージが読めないことに私は寂しさを感じていた。しかし……。
読売新聞、なんと翌日(9日)の社説に「成人の日 新たな世界の扉を開けえよう」ときた。1日ズラしてきたのである。真打ちという自負があるのだろうか。
さっそく読んでみると「新成人が生まれたのは1997年だ」。この年は山一證券が自主廃業した等の説明のあとに「国民の10人に1人はインターネットを利用し始めた頃でもある」と書く。このあとどう話を広げるのか?
《ネットは今や、不可欠な社会基盤となった。LINEなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)は若者同士の連絡手段として定着している》
もしかして「今年の成人=ネットの代表」みたいな論旨なのだろうか。読者のふわっとした不安をよそに読売おじさんは続ける。
《確かに、SNSは手軽で便利な道具だ。犯罪に悪用されるなど、危険が潜むのは事実だが、それ以上に様々な可能性を秘めている。賢く上手に活用すれば、新たな世界が広がるだろう。》
読売おじさんは「諸君が生まれた年はネットが流行り出した年。だから言うぞ、ネットは賢く使え。」とアドバイスしたのだ。
ここで、「そんなの皆知っている」などと言ってはいけない。社説師匠がわざわざお言葉をくれたのである。
おじさんがおじさんであるという理由だけで若者に優位性をかます「成人の日」の新聞。ある意味この日は新聞にとって「おじさんの日」なのである。
早くも来年が楽しみです。