いまから12年前のきょう、2006(平成18)年1月16日午後6時過ぎ、六本木ヒルズ(東京都港区)に入るライブドア本社に東京地検特捜部が家宅捜査に入った。家宅捜査の容疑は証券取引法違反。ライブドアの関連会社ライブドアマーケティングが自社の株価をつり上げる目的で、虚偽の買収計画と粉飾した同社の決算短信を公表したとする「偽計・風説の流布」というものだった(東京新聞特別取材班『検証「国策逮捕」 経済検察はなぜ、いかに堀江・村上を葬ったのか』光文社)。

 ライブドアは、1996年に当時東大生だった堀江貴文が設立した有限会社オン・ザ・エッヂ(のちのエッジ株式会社)が前身で、同社が買収した無料プロバイダ企業の名をとって2004年に社名変更した。同年にはプロ野球の大阪近鉄バファローズの買収を申し出て一躍注目を集め、さらに翌05年には、ニッポン放送株の大量取得を足がかりにフジサンケイグループの経営権の掌握を画策して波紋を広げた。堀江は同じく05年9月の総選挙には自民党から出馬もしている。

ニッポン放送の新株予約権の発行差し止め報道で、号外を手にする人たち ©共同通信社

 ライブドアの急成長は、90年代以降、政府がとってきた金融規制緩和政策が後押しした一面もある。実際、ライブドアがM&A(企業の合併・買収)で駆使した株式分割や株式交換、時間外取引などはいずれも規制緩和で制度化されたものだった。しかし、検察は、ライブドアが複数の制度を巧みに組み合わせて株価を上げるやり方に違法性を見出し、内偵を進めた末、捜査に踏み切ったのである。

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 家宅捜査のあと、市場ではライブドア関連株やIT系企業の株が軒並み売りに出される。このため、1月18日には東京証券取引所(東証)の売買システムの処理能力が限界に迫り、全銘柄の取引停止という事態も発生した。「ライブドア・ショック」と呼ばれた、事件による市場の混乱は検察にとって想定外であり、堀江社長の逮捕を早める結果となる。

 家宅捜査から1週間後の1月23日、堀江貴文(当時33歳)を含むライブドアの財務担当取締役・関連会社社長ら4人が逮捕された。堀江はその後の裁判においても徹底抗戦の構えを崩さなかったが、2011年4月には最高裁で懲役2年6ヵ月の実刑判決が確定。同年6月に収監され、13年3月に仮釈放されるまで長野刑務所にて服役した(刑期は同年11月に終了)。この間、ライブドアは07年に持株会社へ移行し、ライブドアホールディングスとなり、さらに08年にはLDHと社名変更している。

東京高検への出頭を前に、記者の質問に答える堀江。このとき着ていたTシャツも物議を醸した ©共同通信社
2013年、仮保釈された際に行われた記者会見 ©文藝春秋