最後の担当者が明かす、『砂の器』誤記の真相
大平原 続いて、2つ目の質問です。『清張鉄道』の担当編集者の田中さんは、最後の清張担当だそうです。
そんな方に伺うのもどうかと思いますが(笑)、清張先生の誤記についてです。
有名な『砂の器』の亀田・亀嵩問題について。国立国語研究所を訪ねた刑事さんに、国語学者が見せた出雲弁について解説する本に、こういう一節があります。
「出雲の音韻が東北方言のものに類似していることは古来有名である。たとえば……『クゥ』音の存在すること」
ここに重大な誤記があるんです。次のカラー地図を見ていただけますか。
これは、国立国語研究所が1960年代に発表した『日本言語地図』の1枚なんです。この調査というのが面白くて、1902年以前に生まれた男性に対して、アンケート調査を全国的に一気に行う、国のプロジェクトだったんです。
「あなたは『火事』をなんと読みますか?」という質問に、「カジ」と答えた方と、「クヮジ」と答えた方とに分類してるんですね。赤いところが「クヮジ」領域です。まさに亀嵩のある出雲地方も、亀田のある東北地方も「クヮジ」領域なんですよ。
松本清張はこのことを説明しようとして、「クヮ音」と書くべきところを、「クゥ音」と書いてしまったのです。その種の誤記は許容しておられたのでしょうか。
トリックは父上の訛がヒント?
田中 大きな宿題をいただいたので、いろいろ調べてきました。まずは決定版であるはずの『松本清張全集』5巻の『砂の器』を確かめると、やはり「クゥ」になっているんです。一体どこで間違えたのかしらと、連載されていた「読売新聞」の縮刷版を確認すると、実は、先生は正しく「クヮ」と書いておられた。
大平原 へぇー、そうなんですか。
田中 何が起きたか、推理してみました。今は私たち編集者は、作家の方からワープロの原稿をメールでいただいて、印刷所にデータで渡してゲラに組んでもらうことが多いのですが、当時は、手書きの原稿をいただいて、活版の職人さんがひとつひとつ、活字を拾っていました。しかもこの時期の清張先生は、あまりに執筆量が多くて、手首を痛めたため、口述筆記されていたんです。速記者が聞き間違えて誤植が起こってしまったケースもありました。この場合は、せっかく速記者も、「読売新聞」も、正しく「クヮ」と組んでいたのに、本にするときにうっかり間違ってしまったのでしょう。そういう誤植は避けられませんが、全集を作るときには、初出の新聞や雑誌を確認しなければいけなかった。次に増刷する際には、訂正いたします。
ちなみに、先程の「クヮジ」なんですが、清張作品を愛読されている方なら、『半生の記』という自伝をご存じでしょう。そこに、お父さんが清張少年に「太閤記」を語り聞かせる場面があるんですね。
「この火を見た佐久間玄蕃は、はじめは秀吉の軍勢ちゅうことはほんまにせんじゃったが、そのうち秀吉の軍勢が仰山になると、そのタイマツの火でまるで山の下のほうがクヮジみたいになった」
「父の言葉は、伯耆訛と広島訛がごっちゃになっていた。家をエと言い火をkwaと発音した。古代に近い発音だそうである」
まさにお父様のこの方言から、亀嵩と亀田のトリックを思いついたのではないか、という論文を書かれた学者もあるくらいです。