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松本清張、最後の担当者が明かす『砂の器』“誤記”の真相

「地図と鉄道と松本清張」トークセッション

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 松本清張の小説が読者をぐいぐい引っ張る魅力の1つが、リアルの世界とのシンクロ。とくに「地図と鉄道」は作品を現実とつなぐ重要アイテムだ。清張作品に「地図」から迫った『松本清張地図帖』の帝国書院の編集者・大平原寛さん、ライターの北川清さん、「鉄道」からアプローチして『清張鉄道1万3500キロ』を書いた赤塚隆二さん、担当編集者の田中光子とが昨年12月22日、鉄道ファンの聖地・書泉グランデに集まり、清張+地図+テツの楽しみ方を語り合った。

『清張鉄道1万3500キロ』(赤塚隆二 著)
『清張鉄道1万3500キロ』(赤塚隆二 著)

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大平原 『松本清張地図帖』と『清張鉄道1万3500キロ』、それぞれの著者ならびに編集者で、お互いの本について質問をぶつけあいながら、清張先生の小説の世界に、深入りしてみたいと思います。

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 まずは、『清張鉄道』のここが知りたい! ……ということで、司会の私から赤塚さんに質問です。

『清張鉄道』では「初乗り認定」というのがキーワードになります。どの作品のどの登場人物が、どの路線に初めて乗ったかを赤塚さんがしらみつぶしに調べていくんですが、その認定の仕方が、「疑わしきは断定せず」なんですね。赤塚さんは朝日新聞の記者を定年まで勤めておられますが、そういう経歴からこのスタンスになったのでしょうか。

赤塚隆二さん

赤塚 あまり関係ないと思います(笑)。

 ご都合主義めいたところもあって、同じ路線が2度3度出てくる場合、1度めのフォーカスが甘いなと思ったら、認定を控えました。たとえば初期の短篇『湖畔の人』(1954年2月)で、主人公の新聞記者が上諏訪に転勤することになり、その下見に行くのですが、東京から中央線で来てまた東京に帰ったとはっきり書かれてはいないんです。すこし後の『地方紙を買う女』(57年4月)で女が新宿から甲府まで中央線に乗る場面は、出発時刻や到着時刻も書かれていて、ばっちりフォーカスが絞れているため、こちらを文句なしの初乗りとしました。

 逆に、ちょっと甘いかなと思いながら認定したのは、『ひとり旅』(54年7月)です。男が愛人と一緒に死のうとして、博多から鹿児島線と肥薩線経由で鹿児島に向かいます。熊本までしか出てこないんだけれども、そのまま乗っていたので、人吉市まで乗ったと認定していいだろうと判断しましたが、これは相当疑わしくもあります。

 こんな具合で、実はかなりいい加減にやっておりました(笑)。

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『点と線』の殺人現場はここだ

大平原寛さん(帝国書院)

大平原 私の読む限りでは、原則にのっとって、論理的に詰めておられるなと感じました。もともとが研究論文だったから、でしょう。

 一方で我々の『清張地図帖』は、著者と編集者の期待と想像から、かなり断定的に結論づけています。例えば『波の塔』(1959年5月~60年6月)、ご存じ深大寺の場面。若い検事と人妻が深大寺から三鷹の天文台の近くまで歩き、タクシーで多摩川の方に下っていくのですが、2人の歩いた道筋を我々は確定して、地図の上に赤い線で示しました。この道を歩いた、と決めてしまったんです(笑)。

 その証拠は、6つです。坂を登る途中、林の中で接吻する。登ると公園のような広い場所になる。植木屋があり、畑があり、新しいアパートがある。急傾斜で崖線を下って滑りそうになる。そしてその先に天文台がある。北川さんと私たちは実際に取材に行きまして、この道に間違いないと確定しました。都営アパートは今もありますし、植木屋も実在しています。まぁ本当のところは、清張さんに聞かないとわかりませんが(笑)。

『点と線』(57年2月~58年1月)の香椎の海岸の殺人事件の現場も、断定しています。昭和26年の旧版の地形図を見てください。

『点と線』の殺人事件の現場はここ 出典:国土地理院

 まず、殺人は海岸で行われている。さらに、「黒い岩肌の地面の上」で死体があがっている。国土地理院の地形図で、岩場や崖は、もこもことしたマークで示されています。この地図にも、そのマークが入っていますので、その範囲に限定すべきだとわかります。西鉄香椎の駅から徒歩10分ということを考慮すると、この地形図の直角になっている部分ですね。間違いなく、この地点で殺人が行われています。残念ながら今とは海岸線の形が異なるので、実際に行ってみても、小説の描写を再現するのはむずかしいのですが。