昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

松本清張、最後の担当者が明かす『砂の器』“誤記”の真相

「地図と鉄道と松本清張」トークセッション

ヒロインたちはさぞ辛かったろう

北川 ところで赤塚さんが清張作品の舞台をめぐる鉄道の旅をされたとき、作者の視点でしたか、登場人物をイメージされていましたか。

赤塚 いつも、清張さんは何を思い、何を考えていたのか、その風景からどんな刺激を受けたのか、と考えていました。登場人物でいえば、昭和30年代の長編のヒロインたちは、蒸気機関車が牽く、どんどん真っ黒な煙や煤が出るような夜行列車で、ひとり旅をしています。『ゼロの焦点』(58年3月~60年1月)の板根禎子さんや『蒼い描点』(58年7月~59年8月)の椎原典子さんは、さぞ辛かったろうと思います。

北川 作品と実際の乗車の印象がずいぶん違うと感じた場所があれば、教えてください。

赤塚 例えば東京の武蔵野は、もう作品の雰囲気さえ求めようがないでしょう。東海道線の沿線も、昔は静岡あたりでも田園風景が広がっていたのに、今では工場や住宅地になっています。一方、長野などは、自然のつくりが非常に大きいので、車窓から山や川、湖に目を向けていると、これは作品に書かれているのと同じ風景だろうなと思えます。

清張的な路線はどこ?

北川 最も印象的な、清張的な光景だという路線はどこでしょう。

赤塚 難しいご質問ですね。私は、鉄道の車窓風景を自分なりに、いくつかに分類しております。誰もがきれいと思うのは、海岸線でしょう。海岸線が印象的な路線といえば、五能線や山陰線、紀勢線が思い浮かびます。それよりも私は昭和30年代、40年代がしのべる田園風景、特に田植えの頃の景色が好きなんです。そういう視点でいえば、東北が多いですね。奥羽線の横手盆地のあたりは、非常にきれいで、郷愁をおぼえます。陸羽東線の小牛田から鳴子温泉あたりまでは、昔ながらの田園風景が残っています。極めつけは、滋賀県の草津と三重県の柘植を結ぶ草津線です。田植えの頃に乗ると、苗の緑と、麦秋の麦の黄金色とがだんだらに模様をなしていて、見ていて本当にいい気持になります。

©iStock.com

大平原 どの清張作品のどの鉄道シーンが一番好きですか。

赤塚 やっぱり、山陽線ですね。『張込み』(55年12月)では柚木という刑事が横浜から列車に乗って、一昼夜かけて佐賀に来るんですが、その難行苦行ぶりが丁寧に描かれております。非常に混んだ夜行の急行列車の中で、座席に座れないで、通路に新聞を敷いて寝たりしている。大阪で席に這い上がることができて、しばらく眠るんですが、広島あたりまできたところで目が覚めてくる。そして山陽線の中でももっとも瀬戸内海がよく見える、広島、柳井間の描写を丁寧に書いてあります。

『顔』(56年8月)という短篇では、逆に九州から京都に刑事さんたちが行くのですが、この時に須磨明石の海岸を描写しています。昔の須磨明石海岸のあたりは、松林がきれいで、その間に瀟洒なお屋敷が見える風景があったんですけれども、今はマンションばかりになってしまって、残念です。

z