1ページ目から読む
2/3ページ目

 主人公のライター、市川は評論家然として作家を批評するわけではなく、むしろ逆だ。玉城ティナが演じる若き天才小説家・久保留亜の文学賞受賞式の記者会見で、市川は作品に対するライターらしからぬ素朴な個人的感想を述べる。その感想のひとつは作家に否定され、周囲の記者の失笑を買う。

「それ、あなたの感想ですよね?」というネットミームは、今や小学生にまで他人を断じる切り口上として真似されるようになった。だが文壇の期待を集めるスター作家である久保留亜は、ただの個人的感想を口にした市川を、その正直さゆえに信頼するようになる。それはメディアからSNSに至るまで周囲の空気を読んで口を揃えて絶賛し、あるいは切り捨てる状況の中で、市川が自分の個人的感想を持ち、述べることができる人物だからだ。

 かつて作家だったこともある市川は、若い久保留亜の作品を文学の知識をもって、あるいは年長者の経験をもって上から批評するわけではない。彼はただ久保留亜の話の聞き手として呼び出され、奇妙な言動と会話に根気よく付き合っていく。それはどこか、多くの作家と交流を持ちながら自分を強く押し出すことなく、かつて作家・村上龍に「君は人の話を聞くのが上手い」と言われた稲垣吾郎の人物像と重なる。

ADVERTISEMENT

©時事通信社

SMAPのメンバーの中では「癒し」の存在だった

 国民的グループだったSMAPの中でも、稲垣吾郎は他のメンバーの聞き役に回ることが多かった印象がある。年齢差によって「木村くん」「中居くん」「剛」「慎吾」と互いの呼び名が分かれるグループで、彼は年上からも年下からも「吾郎ちゃん」という上下を感じさせない呼ばれ方をしていた。最近は年齢的にも草彅剛が「吾郎さん」に呼び方を変えたりしているようだが、稲垣吾郎がメンバーの誰からも親しみを込めて呼べる「吾郎ちゃん」でいてくれたことは、SMAPというグループを安定させていたと思う。

 多くの小説、映画を紹介する稲垣吾郎を見ていてもそうだ。国民的知名度と端正なルックスを持ちつつ、村上春樹をはじめとする多くの作家と対談し交流を持つ彼は、観客として見るともっと文化人然とした自己演出ができそうに思えるのだが、彼はそうした自分を固める権威化を好まず、あえてどこか隙を作るようにフラットにたたずみ、「吾郎ちゃん」として本や映画を紹介する。映画の中の市川がそうであるように、稲垣吾郎は自分を茶化されたり、笑われたりすることを恐れていないように思える。

 この本はね、あの映画は本当に面白いんだよ、そう勧められた作品に夢中になって振り向くと彼はもういないというような、そうした権威的でない語りの中で、彼は今泉監督の『街の上で』を含む多くの作品を語ってきた。