文春オンライン

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2022/11/20

genre : エンタメ, 芸能

『窓辺にて』で今泉監督は、そうした稲垣吾郎の上も下もない批評のあり方を市川というライターの人物像に再構成している。下からの崇拝でも、上からのマウンティングでもなく、対等なフラットな関係の中で、相手に対して慎重に距離を測りながら感想を口にする市川のあり方は、映画の山場で見せる鋭く突き刺すような厳しい批評性も含めて、今泉監督による稲垣吾郎論でもあり、批評についての映画でもあるように見える。

ジャニーズ事務所からの独立という「賭け」に勝った

 草彅剛、香取慎吾、稲垣吾郎の3人がそれぞれの方向で俳優として活躍する「新しい地図」は、無謀とも言われたジャニーズ事務所からの独立という賭けに勝ち、確固たる立場を日本に築きつつある。一方で、岐阜に数十万人を集めた木村拓哉のニュースが語るように、元SMAPの他のメンバーたちの活動も勢いを失わない。

 その人気にもかかわらず、解散コンサートの機会すら与えられず解体された国民的グループはいまだ、芸能界を離れた森且行も含めた六つの物語として観客を惹きつけ続けている。だからこそ、体調不良で1ヶ月の休養をとった中居正広の万全の復帰を望みたい、ひとつのグループ、ひとつのステージなどという夢は望まないまでも、6人がそれぞれの活動で末長く輝き続けてほしいと願うのが正直な思いだ。

SNSでは『窓辺にて』の主人公に村上春樹的な雰囲気を感じる観客の声があり、また映画の中でもちらりと村上春樹の名前が出るシーンがあるのだが、実は映画のストーリー構造である妻との奇妙な関係、特殊な才能を持つ年下の若い女性との道中というモチーフは村上春樹が繰り返し描くものでもある。

 ストーリー原案は10年前から考えていた、と今泉監督がパンフレットで語るように、それは特に『ドライブ・マイ・カー』を意識したものではないのだろうが、村上春樹と似た問いに対して村上春樹とは別の答えを出す『窓辺にて』という映画は、見方によっては一種の村上春樹論にもなっているようにも思えた。

優れた映画はひとつの批評にもなりうる

『ドライブ・マイ・カー』での西島秀俊の演技は確かに素晴らしかったが、村上春樹の小説世界のいくつかは稲垣吾郎に演じてみてほしい、あの村上春樹主人公のなんともいえない雰囲気を日本でもっとも体現できる俳優は稲垣吾郎ではないか、などと空想したりもする。

 余談だが、子供のころにヤクルトファンで神宮球場に連れて行かれた稲垣吾郎は、同じくヤクルトファンで神宮球場で試合を見ている時に小説家になることを決意したという逸話を持つ村上春樹と、同じ球場のどこかで同じ試合を見ていた可能性もあるのかもしれないな、と映画を見ながらふと考えたりもする。

 優れた批評はひとつの創作だ、という古い言葉に倣うなら、優れた映画はひとつの批評にもなりうるのではないか。この映画は稲垣吾郎論であり、村上春樹論でもある批評的な映画ですよね?などと押しつけがましく語れば、今泉監督はいやこれは批評なんかではなく、自分の好きな街や人を眺めながら撮影したただの感想だよ、と苦笑するのかもしれないけれども。

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