そして、要太郎の供述は事件前日からの状況に至る。
「あくる29日の晩は例のごとく夜学校に行って、帰ってきてから、いかにして米を盗もうかと考え迷って、ウトウト夢かうつつか、恐ろしい夢を見た。自分がある大家へ忍び入ったが、恐ろしさに気も落ち着かずふるえて、もしや泥棒と言われたらどうしよう、などと思ううちに、仁王か夜叉のような恐ろしい大きな化け物が刃物をもって自分を斬った。と思えば夢は破れてしまって、全身に滝のような汗をかいていた。
目覚めて考えると、きょうは暮れの29日(正確には30日)である。父が米をつくのは今日1日で、もう明日からは仕事をしないから、もし盗むのならば今日が絶好の機会であると思って起きた。
米の置いてある納屋へ行って、六斗(約108リットル=約90キロ)俵を臼の上に乗せていまや担ごうとしたが、動悸は高ぶり、ひざはガクガク震え、あたかも夢に見たのと同じように恐ろしかった。
そこへ足音をさせて来たのは父親である。自分は恐ろしさに前後の考えもなく、夢で仁王に会った時のごとく、夢中になって傍らにあった杵を振るって父の胸部にまず一撃を与えた。父はたちまちその場へ悶絶した。そのうえを乱打したように覚えている」
「陳述のどちらを真実とすべきか」下された予審の結果は…
「前の幸太の申し立てとは全然別の陳述で、いずれを真実とすべきか」と「不思議極る殺人事件」は書いている。
その予審の結果は1915年4月11日付新潟新聞に掲載された。同紙のこの事件の報道は終始予断に満ちているが、この時の見出しも「横越惨殺事件豫(予)審終結 母子共謀の主人殺し 揃ひ(い)も揃つ(っ)た人非人」。記事の主要部分は次のようだった。
4名にかかる殺人事件は、今回新潟裁判所で予審終結し、いよいよ有罪の決定が下され、10日、同裁判所の公判に付された。来たる23日午前8時、公判開廷の予定。その罪状を掲げるに――。
被告ミタは貧窶(ひんる=非常に貧しい)の間に成長した人間で、その性格は甚だ強欲。そのために義理、人情も顧みず、亡夫とともに営々貯蓄してやや富を成すに至った。養った被告マサと孫の被告要太郎、幸太はいずれもミタ夫妻の感化を受けて利欲にさとく、家産の増殖を図ったのに反し、婿養子幸次郎は性質温順で利殖の道に疎かった。いわゆる好人物だったことから、ミタ、マサ、要太郎らは平素幸次郎を軽侮、疎外し、ために一家に風波を生じることがあった。大正3年12月中、たまたま幸次郎が150円(現在の約50万円)を借金したことが判明。ミタと幸次郎が言い争いに。以来、ミタは幸次郎を疎外することがさらに激しくなり、幸次郎が家産を傾ける恐れがあると思うに至った。幸次郎が同年2月中、大同生命保険株式会社と300円(同約100万円)の生命保険契約を結んだのを知ったことから、むしろ幸次郎を殺害して家運の衰退を未然に防ぐとともに、保険金を取得して幸次郎の債務を弁済するに越したことはないと決意した。