新潟県の農家で1914年の年末、当主が惨殺された事件。妻、長男、次男、義母の4人が起訴されることになった。取り調べに対し、長男と次男がそれぞれ犯行を自供するも、その内容は異なっており、しかも両人とも裁判で自身の供述を翻すことになった。そして第一審の判決の日――。
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下された判決、一家4人全員が「ことごとく死刑」
ところが、同年6月2日の判決は「悉(ことごと)く死刑」(3日付新潟新聞見出し)。予審や検事の論告通りというのは予想できたとしても、ミタまで死刑というのは予想外だったのではないか。
同記事の脇見出し「極悪人親子の果」と、本文の「あくまで図太き被告4名は、さらに驚きたる様子なく平然として退廷せり」という表現は相変わらずひどい。ベタ(1段見出し)という扱いにも驚かされる。
「不思議極る殺人事件」は「事件に立ち会った福田検事正が、非常に本件に対して峻厳な態度をとり、公判で証人の喚問にもろくに同意せず、裁判長もかくのごとき疑獄に対して十分念入りの取り調べもせず、ほとんど即決同様で判決を下してしまったそうである」と批判。「続史談裁判」は「検事正の立ち会いに押されたのだろう」と書いている。
4人は控訴、検察側も…
4人は控訴。「続史談裁判」によると、検察側もミタの量刑について控訴した。同書は「不思議極まることには、検事も祖母ミタについて、求刑通りに死刑判決をしたのは重すぎるといって、控訴していることである」と書いているが、ミタに対する求刑は無期だったことを誤解している。
大場弁護士は、控訴審で弁護を担当することになった経緯を「不思議極る殺人事件」に書いている。
「(一審の)今成弁護士から私のところへ弁護を依頼してきて、『誠に残念であるが、自分の力では及ばない。事件は実に疑獄であって、不思議極まる犯罪である。どうか先生の尽力をもって本件を解決してください』と言ってよこしたので、私もはじめはどうなることかと思っていたが、何分4人の生命に関する大事件である。でき得る限りは精査せねばならぬと決心して引き受けるに至った」
浮かび上がった「不合理な4点」
「一件記録を調べてみると、いろいろと不合理な点が現れてきた」として同書が挙げているのは主に次の4点だ。