「からゆき」とは元々、日本から海外への出稼ぎ者全体を指す、九州の一部で使われた言葉。それがいつからか、東南アジアなどの現地で娼婦として働いた女性の総称として定着した。その大半は、貧しい生活の中で親たちから売られた女性たちだったといわれる。一体、彼女たちはどのようにして海を渡ったのか。故郷をはるか離れた異郷の地で、何を目にしたのか――。

 文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の2回目/はじめから読む)

「婦女の密航また盛んなり」とつづられた大阪毎日

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当時は「密航婦」という言葉が使われた

 当時は「からゆき」という言葉は見られず、「密航婦」という言葉が使われたと森崎和江『からゆきさん』は書く。「明治のころの福岡の新聞に『密航婦』ということばがたびたび出ていた。はじめてこのことばにゆきあたったとき、わたしは衝撃をうけた。それはからゆきさんのことだったからである」(同書)。1976年刊行の同書によれば「からゆき」とは次のような意味だ。

「からゆき」ということばは、いまはもうその内容を正確に伝えない。それは明治、大正、昭和の初めころまで、九州の西部・北部で使われていたことばである。それは「から」に出稼ぎにゆくことであった。「から」は唐天竺の唐から転じて、海のむこうのくにぐにを指していた。明治維新ののち、貧しい男女が海外に働きに出た。そのように海を越えて働きにゆくことや、またその人びとを、「からゆき」とか「からくにゆき」とか、また「からゆきどん」と呼んだのである。

 

 海外への出稼ぎといっても、明治のころは海の外は賃労働はすくなく、行商をするか、雑用に使われるか、土工や石工などになって親方にしたがうかであって、ひとり娼婦ばかりがさかえた。そのため海をわたる女が後をたたず、やがて「からゆき」とは、これら海外の娼楼に出る女たちを意味するようになった。

『からゆきさん』の著者・森崎和江さん(青土社「現代思想」2022年11月号より)

「海外の娼妓の大半は被害者だという自分の思い込みが『密航婦』ということばで肩すかしにあった」と『からゆきさん』は書く。「新聞は繰っても繰っても『密航婦』であった」(同)。

 明治維新以降連綿と続き、報道もされていた「密航婦」の問題。よりクローズアップされたのは1890(明治23)年の「伏木丸事件」だった。