「からゆき」とは元々、日本から海外への出稼ぎ者全体を指す、九州の一部で使われた言葉。それがいつからか、東南アジアなどの現地で娼婦として働いた女性の総称として定着した。その大半は、貧しい生活の中で親たちから売られた女性だったといわれる。密航も含め、船で海を渡った「からゆき」の総数は不明だが、数十万人とする研究者もいる。そのために各地で日本人に対する悪評が立ち、「国辱」と憤激した日本人もいた。一体、彼女たちはどのようにして海を渡ったのか。故郷をはるか離れた異郷の地で、何を目にしたのか――。

 文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の1本目/つづきを読む)

1990年撮影。多くの「からゆきさん」が渡った地のひとつであるマレーシア・サンダカンの日本人墓地 ©時事通信社

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「毒婦」「婦女誘拐の常習者」の出現

毒婦横田りつ捕は(わ)る 婦人百餘(余)名を海外に賣(売)飛す

 1913(大正2)年7月27日発行28日付報知新聞夕刊は社会面にこんな見出しを立て、次のように報じた。

「毒婦横田りつ」を報じる報知

「海外に誘拐され、醜業を営んでいる婦人は百余人」「手段は実に悪質で…」

 東京府下中渋谷16(現・東京都渋谷区)、横田勝蔵の妻・りつ(49)は27日、大阪・中之島公園において曽根崎警察署の手で捕縛*された。事件の内容は極めて秘密に付されているので詳細を知ることはできないが、聞き調べたところによれば、同人はイギリス領インド・ラングーン13街*、鳥羽嘉野(49)と気脈を通じて、大仕掛けな婦女誘拐を企て、その手にかかって海外に誘拐され、泣く泣く醜業を営んでいる婦人は百余人に上る。
 

 先頃、鳥羽がさらに数十人の婦女を誘拐・渡航させる目的で帰国し、京阪地方を徘徊しているところを警視庁に捕らえられ、厳しい取り調べの結果、犯行が判明。りつが鳥羽の命令を受けて京阪地方に出発したことを自供したため、警視庁から曽根崎署にりつの捕縛を依頼した。彼らの婦女誘拐の手段は実に悪質で、今回も京阪地方で既にその悪の手にかかった者は数十人いるという(大阪)。

 *捕縛=とらえてしばりあげること
 *イギリス領インド・ラングーン=現在のミャンマーの首都ヤンゴン

「京阪地方」とあるが、続報も含めた文脈からは、鳥羽が徘徊していたのは「京浜地方」か「東京地方」と考えられる。