「からゆき」とは元々、日本から海外への出稼ぎ者全体を指す、九州の一部で使われた言葉。それがいつからか、東南アジアなどの現地で娼婦として働いた女性の総称として定着した。その大半は、貧しい生活の中で親たちから売られた女性たちだったといわれる。一体、彼女たちはどのようにして海を渡ったのか。故郷をはるか離れた異郷の地で、何を目にしたのか――。

 文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。文語体の記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の3回目/はじめから読む)

「からゆきさん」を「国辱的」とした社説も登場した(福岡日日新聞)

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 女性たちの海外への連れ出しはどのように行われたのか。森崎和江『からゆきさん』と金一勉『日本女性哀史 遊女・女郎・からゆき・慰安婦の系譜』(1980年)などからまとめてみる。

 ここで説明しておかなければならないのは村岡伊平治という男のことだ。長崎生まれでシンガポール、マニラ、中国などを舞台に女衒や娼館経営、開発事業を展開した人物。『村岡伊平治自伝』(1960年)では、“人身売買団の親玉”として女性を連れ出し、海外へ渡航させ、売春をさせた手口を奔放に語っている。その半生は舞台劇や映画にもなり、彼の証言に依拠した研究も多い。

『村岡伊平治自伝』(1960年/ 南方社)

 だが近年、彼の話の信憑性に疑問が深まり、いまは研究の対象とみなされていない。ただ、他に資料は乏しく、手口について彼の発言を全面的に排除することはほぼ不可能だろう。その認識のうえで、考えうる“基本的な手口”を紹介する。

狙われたのは田舎に住む無知で貧しい少女

1.  誘拐・密航が専業の女衒(ぜげん)はほぼ全員がヤクザで元船員や「前科者」が多かったようだ。一見紳士ふうに装っているのが特徴。他の口入れ屋や誘拐・密航仲介を専門にする人間と結託していた

2. 主な手口は、田舎回りをして無知な少女を選び、外国での「女中奉公」を持ちかける。女学生や資産家の娘は避ける。貧しい家の子がいいのは、後でだまされたと分かっても、家の事情を考えて泣く泣く受け入れるからだった