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日本人男女12名が“密航”し…「伏木丸事件」とは

「伏木丸事件」の端緒は、当時の長崎の地元紙・鎮西日報の4月6日付に見られる。

 昨4日朝、香港から長崎に帰った三菱長崎炭坑舎汽船・朝顔号乗組員の語るところによると、同船の香港出発の際、長崎から到着した日本郵船会社汽船・伏木丸の船中で日本人男女12人が死亡していた。調べると、伏木丸が長崎を出発しようとした折、密航の男1人、女11人がひそかに船底の大きな木箱の中に折り重なって潜伏。板でふたをした上に数百トンの石炭を搭載したので、多数の警官や係官も見つける手段がなかった。

 

 そうして船は長崎を出発し、六昼夜を経て香港に到着。積み荷の石炭を陸上に引き揚げるに従って死臭がますます鼻を突き、乗組員は不審に思いながら箱のふたを開いて中をうかがうと、意外にも箱の中の人間は全て死んでおり、遺体の腐敗の惨状は見るに忍びないほどだった。すぐ香港駐在の領事館に通報。遺体を仮埋葬した。死因は炭酸ガス(二酸化炭素)という見方もあるが、多くは飢餓と空気不足で死亡したのに間違いないといわれる。父母があり親類もあるだろうに、本人の自業自得は仕方がないが、父母、親類の悲しみこそ哀れだ。

伏木丸事件の発端を伝える鎮西日報

「密航婦」たちの死を自己責任と見る考え方があった

 当時、石炭は日本の主要な輸出品だった。ここでも「自業自得」という言葉が出てくる。「密航婦」たちの死を自己責任と見る考え方が世間一般にあった表れだろう。

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 翌6日付東京朝日(東朝)にも「船中の死體(したい)」の見出しで記事が載っているが、「日本メール新聞に書かれたところによれば」「4人の女は介抱されて蘇生した」としている。東京日日(東日=現毎日新聞)、読売もほぼ同内容の記事を掲載している。