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 部屋はのちの判決文で「水槽蔵」と認定される。正確な広さは分からないが、女性たちが極めて劣悪な環境に置かれていたことは間違いない。

 日本領事は生き残った4人の尋問を始めたが、そのうちの3人は少女で、残り1人は老婆。少女らは領事の質問に対して何も答えず、それはおそらく老婆の教唆によるものだろう。彼女らが伏木丸に乗り込んだのは19日。どのようにして部屋に入り込んだのかははっきりしないが、火夫の助けがなければ到底無理という者もある。詳細は容易にはつかめないが、27日から尋問が始まると聞くので、遠からず明白な事実を報じることができるだろう。

伏木丸事件を詳報する東京日日

 その後も鎮西日報を中心に、生存者や死者の身元などのニュースが載った。4月10日付読売は、ほぼ同時に発生した「ラージ殺し」と呼ばれた東京・東洋英和学校教師殺人と併せて社説「鳥居坂の殺害と伏木丸の變(変)死」で取り上げた。しかし、事実関係がはっきりしない段階のうえ、当時のメディアの限界もあって問題の核心に迫れていない。

 “密航”の現場となった伏木丸は香港で調べを受けた後、予定通りインドに向かった。当時の兵庫の地元紙・神戸又新日報の同年5月2日付には次のような記事が。「伏木丸は先月24日にサイゴンを出発して一昨日当地(神戸)へ入港。8人の変死に関して調べを受けた文書を持ち込んだ。当地の警察で取り調べることになり、一昨日、神戸警察署から高橋警部、多久通訳、平尾巡査が同船に出張。水桶の辺りなどを点検した」。

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「出稼ぎすれば利益があると勧誘」「船底に隠して誘拐した」男女5人に有罪判決

 それから5カ月近くたった9月23日付読売に「伏木丸窒死事件落着」という記事が掲載された。「さる3月に起こった伏木丸窒死事件は、しばらくの間、何も音沙汰がなかったが、ついに12日、左のような言い渡しをもって落着に及んだ」とし、長崎軽罪裁判所が福井県の日雇い業の女(39)、東京の船員(23)と、いずれも長崎県の左官(39)、大工(45)、船員(40)の計5人に対して誘拐、過失殺(現在の過失致死)罪で出した判決を報じた。

 女についての理由は「長崎市小曽根町の女を20歳未満であることを知りながら、1890年3月中、イギリス領香港に出稼ぎすれば利益があると勧誘。同月21日長崎発の汽船伏木丸に乗り込ませ、船底に隠して香港に誘拐した」。

「息ができなくなるのは当然」「窒息させ、死に至らしめた」

 東京の船員と長崎の左官はほぼ同様の内容。長崎の大工と船員が首謀者で、香港への出稼ぎの名目で親たちから10円(現在の約5万6000円)余りを受け取っており、大工や船員は表向きで、「女衒(ぜげん)」と呼ばれた芸妓・娼妓専門の口入屋(斡旋仲介人)だったと思われる。伏木丸での女性たちが置かれた状態についてはこう認定した。

 船底の水槽蔵は客室でないので人を入れてはいけないのはもちろん、荷物を搭載するため空気の流通がないうえ、機関に接しているので、熱によって息ができなくなるのは当然。それを考えず潜伏させたため、長崎から香港に達する海上で8人を窒息させ、死に至らしめた。

 そのうえで首謀者の2人に重禁錮2年、罰金20円(同約11万2000円)、他の3人に重禁錮3カ月、罰金5円(同約2万8000円)を言い渡した。